真野まきや
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プロフィール 真野まきや 1972年福島生まれ。 幼少時代を前半は福島の原っぱや雪景色、後半を川崎の空き地や広場で過ごす。 19歳の頃宮沢賢治の詩集や童話と出会い衝撃を受ける。 20歳で詩人になる決意をし、その頃、アルバイトしていた遺跡発掘のかたわら、手帳を片手に詩を書き始める。 古墳の上で、住居跡のなかで、土に触れ、風に吹かれ、陽射しを浴びて、雨に濡れ、空を見上げるうちに、詩が熟酵し、22歳の冬に初詩集『空間の柱へ』を自費出版。 そのかたわらで、宮沢賢治の生き方にあこがれ、就農相談を受け、農業の道を志すも農業の道を志すも収入面の厳しさに挫折、発想を変えて、海外のお米=パンの道へ進む。 千葉のパン工場で朝5時から1日に二千個以上のパンを焼くオーブン担当を2年半勤めた。 パンの醗酵を見つめながら、自分の夢も膨らませ、パンを焼きながら、自分のあこがれも焼く日々。 (笑) 兼ねてからの夢だった『旅をしながらしながら詩を書く放浪詩人スタイル』と『三蔵法師が歩いた道すじを辿る旅』を計画し、24歳の時半年ほど日本を離れ海外へ。 パキスタンのイスラマバードへ降り立ち、中国国境へ。その後、中国シルクロード、チベット、ネパール、インド、パキスタンと半年間旅を続けて帰国。 帰国後、詩集『インドスケッチ』を書きあげ、地元木更津で、ささやかな写真展を開催。 その後、1年ほど電車清掃のアルバイトをしてお金をため、26歳の時再び海外へ。 アルチュール・ランボーが過ごしたエチオピアのハラレ。 冒険家の植村直巳さんの登ったケニア山やキリマンジャロ山。 アーネスト・ヘミングウェイの短編小説『キリマンジャロ』 さだまさしの歌『風立つライオン』 それらにあこがれ、アフリカ旅行へ。 エチオピア ケニア タンザニア マラウィ ジンバブエ モザンビーク 6カ国を半年間かけて陸路で巡る。 帰宅後、詩集『わらんべたちのお唄』を書き、東京都内の飲食店壁面を借りて写真展を開催。 29歳、東京に引越し、ホームヘルパーの仕事を始める。 【32歳】最愛の妻と運命の出会いを経て結婚。その後、二人の愛娘を授かる。 【2009年】レイキのサード・アチューンメントの伝授。憧れの癒しの手を、ただ、ただ、見つめる。 【2010年】第9期日本誕生数秘学協会認定カウンセラー資格取得。

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