初めまして。
競馬が大好きな30代のサラリーマンです。
競馬を初めてから20年近く経ちました。
今まで、苦い経験ばかりで借金を作ったりろくでなしの人生でした。
やっとやっと安定した馬券理論に到着しましたので、その方法をお伝えしていこいと思います
競馬との出会いは、今から20年近く前になります。
当時、専門学校に通っては僕は親戚の家に下宿していました。
下宿先の叔父さんは競馬が好きで毎週のように馬券を購入していました。
収支はどうだか分かりませんが…
ほとんど土・日はパチンコに没頭していた僕ですが、たまたまパチンコに行かない日に競馬を勧められたのがきっかけでした
初めての馬券購入は、秋の天皇賞。
レッツゴーターキンが勝ったレースでした。
当たり前ですが、新聞の見方も馬の名前すらも全く分かりません。
なので当時、競馬に詳しかったクラスメイトに聞いて買うことにしたのですが…。
そのクラスメイトが推したのがレッツゴーターキン。
訳も分からずにレッツゴーターキンから後は好きな数字へ4点購入。(叔父さんに頼みました)
結果は外れましたが、競馬は面白いなぁとその時に思いました。
初めての予想が1着に来た事で、「競馬は簡単に当たりそう。」
そう思った僕は次の月のジャパンカップを購入してもらいました。
枠連を4点で500~1000円の掛け金だったと思います。
勝ち馬はトウカイテイオー
その枠から購入していたので的中でした。
ビギナーズラックというやつですね。
それが深みにはまり、後々の苦くて周りに迷惑をかける始まりでした…
ジャパンカップを的中し、完全に勘違いして調子に乗ってしまった僕はその年の有馬記念に儲けを全額投入。
今思えば止めればいいのに…なまじっか的中したものだから更に増えると熱くなってました。
多分ですが、メジロパーマーが逃げ切った有馬記念だったと思います。
レガシーワールドから購入して撃沈。
かなり凹んだのを覚えてます。
それからはしばらく馬券は買わずに専門学校を卒業し、実家に戻りました。
地元で就職し、競馬への熱は下がってきはじめたかなと思い始めてきた時に競馬が好きな仲間と意気投合。
3~4月に1回は中山競馬場に足を運ぶようになりました。
3~4ヶ月に1回は現地競馬に行きますが、朝一からやるときや、昼頃からとかマチマチでしたが収支は決まってマイナスでした。
買い方は競馬新聞の本誌買い目を丸乗り…
予想もへったくれもあったものではありません。
何回か負けるうちにやっと当たるようになりますが、もちろんマイナス街道まっしぐらでした。
20代前半は年に1回くらいは万馬券は当てられるようになりました。
20代の前半~中盤で、何回かとった万馬券の中でも未だに記憶に残ってるのがメジロドーベルが勝ったオークス。
2着はナナヨードーベル。
馬連万馬券を1000円購入していました。
その日は、手持ち金額は20000円から勝負して…数百円単位で購入していましたが、負けがこんでメインまでに手持ち金額は8000円。
一発逆転を購入して、馬連を1000円ずつ8点購入。
見事なまでの大逆転でした。
周りを気にせず、叫んだのを覚えてますし、一緒に行った人からも恥ずかしいと言われました(笑)
しかし、そこから全くといっていいほど高配当は当たらなくなりました。
一度でも、爆発的な利益を手にしてしまうと欲ばかりが前に出て堅く収まるレースも穴を買い、オッズが割れてるレースはかなりの多点買い…
当たり前ですが、そんな買い方で稼げるわけがないですよね。
でもその当時はそんなことも理解出来ずにやみくもに購入してました。
そして…とうとう情報会社を利用することになったのです。
実家はスポーツ新聞を購読していましたから、競馬欄にはよく情報会社の広告が掲載されてます。
万馬券を毎週的中や、4桁配当を少点数で獲得とか…
やるからには負けたくなかったし、何とかしてでも当てたいという思いが強くて僕は、とうとう禁断の扉を開けてしまいました…。
新聞や雑誌に掲載されている情報会社はかなり利用しました。
1ヶ月数千円~数万円。
給料の7割以上は競馬情報会社と馬券購入代金でした。
本当に若気の至りですね。
情報会社は全く当たらない訳でなかったです。
でも、6~8点で1000円未満の配当や中穴は当たりますが、本当に的中率は低い。
これでは意味がないと、いろいろと情報会社を探す日々が続きました。
最初は給料内で収まってましたが、高額な情報会社を試したく…でも料金が高いので、当たれば返せるという思いから借金をするようになりました。
まさに人生の階段を転げ落ちるという言葉が当てはまる生き方そのものでした