サイド イフェクツ-薬の鎖-
第10章 DATA10 赤面、そして沈鬱―元モデルの告白―
「は、はい。…………こんな感じ?」
「うん。いい感じだね、平幡さん。ナイスだよ」
細かいリクエストにも苺夏は難無く応じる事が出来ていた。カメラマンは満足感を表すようにストロボに直{す}ぐ目を遣り、ちょこちょこと小刻みに幾らかレンズを動かして被写体の若い女を覗き込んだ。
「それで最後にさ、またお尻のところをぐっと胴体{からだ}から反らしてセクシィに見えるようにしてもらいたいんだよね。左のほうに意識して少し大胆に反らしてごらん」
「えっ、……あっ、…ハ……ハイ」
と、彼女は言葉を詰まらせながら頷いたが、ここにきてどういうわけか頭の中が急に真っ白になってしまい、一時の間ではあるが呼吸は些か荒い息遣いに変わり、それまでの体勢を作ったままで身動きも金縛りにあったように取れなくなり、何かに怖れ戦{おのの}いたのかしきりに両眼を瞬{しばたた}き始めた。表情{かお}もみるみる熱病に罹ったように赤らんでゆく。
「…あっ、お、おい!…どうしたの、平幡さん。また気分でも悪くなったの?」
ストロボの中を覗きながらあと少しで撮影前の最終調整に入ろうとしていた日ノ岡は、面喰らった顔して被写体であるモデルの女に、憂色を帯びた声色で話し掛けた。
「…………」
「………あっ……え、……ええと、大丈夫…です……」
「平幡さん!」
彼は動揺を隠せず直ぐさま若い女の元に歩み寄った。
「……大丈夫です。……ま、また…トイレに……」
突如起こった急な変化に理由{わけ}がわからず、狼狽と苦渋の表れた面貌{かおつき}で安否を気遣ってくるカメラマンに対し、モデルの若い女は、何とか聞き取れるであろう小さな声で心配ないと伝えたが、それは泪を流した時のように震えていた。顔は異様に、林檎{りんご}のように紅く火照っている。前髪からは一筋の汗が頬を小川のように伝っていった。苺夏は胸の鼓動が今までに有り得ないくらい、異常に速くなってきたのを自身で感じた。それと同時に、脚から胴へとぶるぶるとした感じが小刻みに身体の中を奔{はし}ってくるのがわかった。
「…す、すみません。…日ノ岡さん」
その場にいるのが堪えきれず、彼女は涙声でただ一言だけ謝ると、恥じらいのためか顔を両手で大きく覆い隠すようにして、幾分早足でトイレのほうへと離れていった。
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