サイド イフェクツ-薬の鎖-
第12章 DATA12 困惑―元モデルの苦悩―
「はい、お待たせしました。番号札十六番の方、診察室へどうぞ」
やや早口になりながらも、マイクで次に予約を控えている患者を呼び出した。
“とんとんとん”
力無さそうに三回ほど扉をノックする音が聞こえ、眼の前に現れたのは無精髭を頬の辺りまでだらし無く生やし、黒縁の度の高そうな分厚い眼鏡を顔に密着するくらいぴたっと掛けた、がたいは良いが極度の猫背で、上から下まで紺色のジャージを着た三十代後半らしき男であった。椅子に座る前、その男は試験の面接官にでも相対するかのような感じで形{なり}に似合わず馬鹿丁寧に深くお辞儀をした。
「どうぞ」
「…は、はいっ」
男は、急いで駆けつけてきたのか汗ばんだ額を黄緑色の綿のハンカチで忙{せわ}しくパタパタと拭いながら堅苦しそうに大きく返事をすると、ややぎこちなさ気に椅子に座した。
「どうですか。あれから調子のほうは?」
緊張して突っ張った表情の患者のほうをちらりと澄ました顔で一瞥してから、播野はパソコンに向かいながら治療の経過を抑揚のない声で尋ねた。
「ええ。先生の出して下さった有り難いお薬のお蔭で何とか日々落ち着いてきているような感じがします」
「そうですか。それは良かったですね」
猫背だが図体の良い男の真心のこもった話し振りに対し、アクセントのあまり感じられない響きの中にも播野は誠意さや温和さを込めて柔らかくいたわるようにして言った。
海を渡った紅毛碧眼の如く身体のどっしりとしたこの男、名は山内といい、二月の終わり頃にこの医院に初めて訪れ、パニック障害と診断されたのであった。
三十半ばを過ぎても家庭は持たず、身寄りもほとんどいないという天涯孤独に近い彼は、とある自動車部品の工場で会社直属の期間工としてベアリング製造やその検査の仕事に約二年勤めているようである。しかし、半年くらい前から職場の人間関係が思わしくなく、それが原因で次第にふと涙目になってしまう時間が多くなったり、急にどうしようもない寂漠感に襲われたりするようになったらしい。粉雪が激しく舞い日中の気温も零度前後で推移していた初来院の日、今日と同じく雑草みたいに髭を頬まで生やした大男は、他人にはついぞ口に出来なかった辛い胸の内を医師に一言一句物語るように打ち明けたのであった。
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