サイド イフェクツ-薬の鎖-
第12章 DATA12 困惑―元モデルの苦悩―
けれども、どちらかといえば神経質な頭脳の持ち主の播野は、世の穢れのなかを潜{くぐ}り抜けてきた人達の言動ばかりでなく、ちょっとした拍子に自分よりずっと年齢の低い者の一言一句でさえ気になってしまうのであった。
(私がこんなんじゃ困るじゃないか………)
(おそらくアレも効いている事だし、…………)
(………とにかく、診察中は冷静でないといけない…………)
精神科医はいささか咳ばらいをして、心中の駄目なもう一人の自分に言い聞かせた。それから、すぐにまた医師は、
「いいですか」
「私の質問には素直に答えて下さいね」
「モデルになる前は何をなされていましたか?」
できうる限り穏和な気持ちで尋ねようと努めたが、それでも幾らか語調が強まったような感じになった。
「……………モデルになる前、…………ですよね?」
「はい、そうです」
若い女は、蛇に睨まれた蛙みたくおどおどと医師の顔を二、三回ほど見遣りながら、訥々{とつとつ}とした調子で聞き返した。
「………モ、………モデルに……なる前は、…………ア、アパレルの………店員を………やってました………」
話し始めると、顔はますますいやおうなしに、林檎のごとく紅潮していく様子が見て取れた。
「なるほど。モデルになられる前は、アパレル関係のお店で働いていたわけですね」
「……で、どうして、…モデルになろうと決めたのですか」
播野は、緩やかな口振りだが矢継ぎ早に、自身の内で想定内の質問をクライアントに投げかけた。ヒトの“心”を扱う専門科医としての内に秘めた情熱が、その博聞強記そうな両眼に謐{しず}かに表れているようであった。若い頃から懇{ねんご}ろに一人一人の患者と接してゆこうとする姿勢は、今でも露も変わってはいないと密かに自負出来るくらいのプライドはあった。だからこそ、彼は診療の奥深さや難しさというものを、この世の垢に塗れた五十という齢{よわい}を過ぎた昨今になっても絶えず実感しているのかもしれない。
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