歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
 わび茶を大成した千利休(1521~
1591)は、豊臣秀吉・秀長、蒲生
氏郷、細川忠興、古田織部、織田
有楽齋、荒木村重、高山右近といった、
当時の名だたる大名を「弟子」にして
いた。

 一般に、豊臣秀吉は佐々木道誉の
再来を思わせる「婆沙羅」な成金
趣味で、その代表が大阪城の「黄金
の茶室」だと思われている。ゆえに、
わび茶の利休と対立したのだと。
だが実情は少し違う。利休が内心
どう思っていたのかを窺い知る事
は出来ないが、少なくとも黄金の
茶室をつくったのは利休自身なの
である。

 千利休が豊臣秀吉から切腹を命じ
られた真因は、石田三成による政治的
陰謀によるところが大きい。

「内々の儀はそうえき宗易(利休)に、
公儀の事は宰相(秀吉の弟・秀長)に」
と秀吉が言うほど、利休は信頼され、
秀吉政権の中枢にいた。それゆえの
失脚だった。
 徒手空拳の身から、関白太政大臣と
いう最高位まで登りつめた豊臣秀吉も、
千利休が切腹した7年後の慶長3
(1598)年8月、62歳の生涯を
閉じる。

「露と落ち 露と消へにし我が
 身かな 難波のことは 夢の
 また夢」

と、無常の我が身を嘆き、侘びた
辞世を詠んだ。人間の成功も挫折
も、どこか物悲しい。それは、ひと
碗の茶の渋味のようでもある。
 
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