歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
○お茶


 そもそも我が国に「茶」という
飲み物が伝来したのは、いつの頃
であったのか。むろん諸説ある。
記録に残る人物として、空海
(774~835)がいる。

「窟観(くっかん)の余暇、時々
 印度の文を学び、茶湯坐し
 来って、たちまち震旦(しん
 たん)の書を閲(けみ)す。
 (弘仁5(814)年閏7月・
  性霊集巻4)」

と、インドの経典をひもとく余暇
に、茶を喫してしみじみしている
空海がそこにいる。

 弘仁年間、空海が嵯峨天皇に
献上した茶は、「舶来の仙薬」と
して宮中の貴族の間で流行した。
嵯峨天皇は畿内に茶の栽培を命じ、
献納させている。だが茶はあく
までも貴人が用いる薬であり、
一般に広く浸透するには至らな
かった。

 時移り、鎌倉時代。二代将軍・
源頼家が、二日酔いで苦しんで
いた。ちょうどそこに現れたのが、
臨済宗黄龍(おうりょう)派の禅風
と茶を宋より持ち帰った明庵栄西
(1141~1215)だった。
栄西は頼家に、一碗の茶を献じた。
二日酔いの不快がおさまった。
 当然「これはよい」という事に
なった。京の建仁寺や博多の
聖福寺など、禅寺で茶の栽培が
盛んになっていった。そうなると
禅に帰依していた武士の間に、
喫茶の習慣が広まってゆく事に
なった。
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