歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
 般若は唐に渡ってから約30年の間に、
徳宗帝の使者として二度ほど旅をして
いる。一度は五台山(山西省東北部・
仏教の聖地)。ウータイ(五台)山脈の
主峰である五台山は、最高峰3400
メートル。こうした高峰の山々に百
あまりの寺がある。もともとは神仙道
の人々が開いた山だったが、華厳経に
書かれている文殊菩薩の住む「清涼山」
だと信じられた為、仏教の聖地になった
のである。金剛智の弟子・不空三蔵は、
ここに玉華寺(金閣寺)を建てて、文殊
信仰を広めている。

 もう一度は、故郷に近い北インド
のカシミールである。般若が青年時代
を過ごしたカシミールへの旅は、広州
から海路をとったものと思われる。
ただひたすら前へ前へと突き進むような
旅を重ねてきた般若にとって、この旅
は自らがたどってきた人生航路を振り
返る甘美なものであったにちがいない。

 805年、空海は長安の西明寺に
入った。この年、空海32歳、般若
71歳だった。般若は、日本から
来た若き留学僧・空海の求法の心・
情熱・才能・本質を見抜き、同時に
若き日の自分の姿と重ね合わせた。

 般若は空海に、サンスクリット語は
もちろんの事、バラモン教をはじめと
するインド哲学の思想、各国の風俗、
人情、地理などを教えた。空海からは
日本という国の仏教事情などを聴き、
交流を深めた。

「もし許されるなら、私も日本に
行きたい。行って空海と共に密教を
広めたい。だがそれには少し年老いた。」

激しい情熱を内に秘めて、インドと
中国大陸を旅した般若の、素直な感想
だろう。

 空海は805年6月13日、青龍寺の
真言密教第七祖・恵果和尚に入門する。
むろん般若の仲介によるところが大きい。
その後約三ヶ月間で、金剛界・胎蔵界
両部の灌頂を受け、恵果の法灯を継いだ。
瓶から瓶へ水を一滴残らず移しかえて
しまうような三ヶ月だったと言われて
いる。恵果も空海も不眠不休。恵果は
最期の大仕事をやり遂げると、その年
の12月15日、青龍寺東塔院で息を
引きとった。60歳であった。

 般若は、空海が帰国するに際して、
自らの経典類を持たせ、彼に自分の夢
を託した。空海に密教の精髄を伝授
したのは恵果だが、思想に幅を与えた
のは般若であった。般若はそれから
5年後の810年、洛陽で寂した。
76歳であった。
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