歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
 シュリーナガルは、シュリー
(ヒンドゥー教の女神・ラクシュミー)
のナガル(都市)という意味の美しい
名前の町である。その名のとおり、
海抜1700メートルの盆地の中央
に、ダル湖・ナーギン湖という湖の
ある水の都で、夏の平均気温25度
という、インド有数の避暑地として
も知られている。

 またこの町は、交易の中継基地でも
あり、ペルシャ・中央アジア・インド・
中国などの文化が混在した国際都市
でもあった。般若はこの町で、仏教
のほかにもバラモン教などのインド
哲学を幅広く吸収しながら、多感な
青年時代を過ごし、7年間滞在した。

 23歳。般若は東へ旅立つ。インド・
ビハール州・ナーランダ。ガンジス川
下流域のこの地には、5世紀初頭、
グプタ王朝のシャクラーディティが
創設した仏教大学「ナーランダ寺」が
あった。東西210メートル、南北
600メートルのキャンパスに、
僧院12・僧1万人が、日夜真理を
求めて仏教を学んでいた。戒律は厳しく、
徳が高く名声が諸外国にまで知られて
いる僧が数百人いたという。玄奘三蔵
や金剛智三蔵、善無畏(ぜむい)三蔵
など、数多くの留学僧もここで学び、
巣立っていった。般若はこれより
18年間、このナーランダ寺で顕密
二教を徹底的に学び尽くした。時に
他僧と議論を戦わせ、あるいは仏陀
の足跡を求めて小旅行を繰り返した。

 般若の旺盛な探究心は、とどまる
ことを知らなかった。密教を深く追求
してゆくうちに、密教の源流である
南インドを肌で感じないわけには
ゆかなくなった。41歳でナーランダ寺
を旅立つと、般若はデカン高原を東に
流れるクリシュナ川中流域の、
「南インドの鉄塔」に向かった。鉄塔
と言っても、東京タワーやエッフェル塔
などのようなものではない。インドでは
大理石のことを「白鉄」と呼んでいた。
この大理石づくりの半円塔の僧院を
「鉄塔」と呼ぶのである。
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