歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
 ギリシャ・ローマ文化、それに
インド・中国・中央アジアの文化
が交差する、東西文明の十字路で
あるガンダーラ文化。ガンダーラ仏
は、ギリシャ人を父に、仏教徒を母
として生まれたとも言われている。
釈迦の仏立像は、ウェーブした髪と
鼻筋の通った顔立ちをしており、
口ひげをたくわえて威厳を感じ
させる。温暖で豊穣なガンダーラ
平原を吹き渡る風のように、
ガンダーラ仏はすがすがしい。

 カーピシー国も、いわゆる
ガンダーラ文化圏に育てられた
仏教国であった。玄奘三蔵の
「大唐西域記」によると、
「あらゆる穀物が豊かに実り
果物も多い。サフランと良い馬を
産出するほか、諸国の珍しい品物
が多く集まってくる」と、その
豊かな土地柄を記した後、
「ベグラームには百余個所の伽藍
(がらん)があり、僧六千余人、みな
大乗の教義を学んでいる」と、仏教
の盛んな様子を伝えている。また
玄奘の訪れた630年当時、かつての
カニシカ王の時代とは異なり、ガンダーラ
国はカーピシー国に隷属する形で存続
していた。カーピシーの王は、中央
アジア高原の十余国を統合する覇者
として君臨していた。

 般若(プラジニャー)という名が
示すとおり、彼は仏教を信仰する
家に生まれ、幼少時より仏教に
親しんだ。向学心に燃えた般若は、
16歳の時故郷・ベグラームを旅立ち、
大パミール高原のガイバー峠を越え、
ガンダーラ大平原を抜け、シュリー
ナガルへとやって来た。シュリー
ナガルが北インド・カシミール州の
州都で、当時の仏教の一大中心地で
あった。玄奘三蔵は「僧院の数・五百、
僧五千人」と記している。
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