歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
カピラ城には2つの候補地が
ある。1つはネパールのルン
ビニ県カピラヴァストゥ郡
タウリハワ町のティラウラコット
の宮殿遺構。ゴータマが生まれた
ルンビニの園の西27kmに位置
している。遺構北西には、バーナ
ガンガ川が流れ、東西450m・
南北500mの外周に堀をめぐ
らせ、その内側をレンガ塀で
囲んだ宮殿跡で、BC500年
頃の黒色研磨土器と、マガダ国
のコインが出土した。この事から
貨幣経済による商業活動が行わ
れていた事がわかる。
2つ目は国境を越えたインド
のウッタル・プラデーシュ州
バスディ地方のピプラーワー遺跡
で、ティウラウコットの南東
18km。当時はシャカ族の支配
地域だった。コーサラ国と隣接
していることから、国境警備と
交易の拠点だった可能性が高い。
インド本国では徹底したカースト
制のもとで、シュードラ(奴隷)の
使用人や奴僕には屑米の飯や粥
しか与えられなかったのに対して、
カピラ城内の使用人や奴僕には、
まともな飯や肉が与えられていた
という。米は家畜の餌にするほど
豊富だったという事もあるだろう
が、カースト制に関しても比較的
緩やかだったのだろう。
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