歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
いやいやヒマラヤ東部から
インド・アッサム州・中国の
雲南省にかけての山岳地帯で、
稲作をしていたモンゴロイド
のキラータ(山の民)ではないか
という説もある。事実シャカ族
の富の源泉は稲作にあった。
カピラバストゥは東西80km・
南北60kmの、京都府や山梨県、
徳島県などと同じ位の面積なの
で、米の収量を石高に換算する
と、およそ15~20万石位
だろうか。
米はシャーリ米とヴリーヒ米
(うるち米)とある。さすがに
ジャポニカ米ではないにせよ、
当時のカピラバストゥには
日本人にとっては馴染み深い
田園風景が広がり、田植えから
稲刈りの農作業と、ご飯やお粥、
餅という食文化があったと容易
に想像出来る。農家では牛・
水牛・豚・山羊・羊・鶏を飼育
し、その肉や乳製品を食べていた。
カピラヴァストゥの統治者は
専制君主ではなく、コーリア族
などとの緩やかな部族連合で、
シャカ族の族長(ラージャ)だった。
カピラ城を拠点にしていた。BC
500年頃はスッドーダナ(浄飯
王)が治めていた。オーダナは飯
の意である。シュクロダナ(白飯
王)、ドロノダナ(斛飯王)、アム
リトダナ(甘露王)という弟がおり、
ドロダナの子が後に釈迦に25
年間近侍し、十大弟子の一人と
して仏教教団を率い、釈迦の教え
を口述して経典編纂を行った
アーナンダ(阿難)である。
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