歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
アフィリエイトOK
発行者:オフィス亀松亭
価格:章別決済
章別決済は特定の章でのみ課金が発生いたします。
無料の章は自由にお読みいただけます。

ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

オーナーサイトへ
アフィリエイトする
マイライブラリ
マイライブラリに追加すると更新情報の通知など細かな設定ができ、読みやすくなります。
章一覧へ(章別決済)
歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第1章 海と潮流の章(星と海はロマンと伝説の宝庫)
○壇ノ浦


 前(さきの)太政大臣・平清盛が没した
4年後の、1185(元暦2)年。旧暦
3月24日は、新緑の5月中旬。当時
赤間ヶ関と呼ばれていた関門海峡・
彦島の海域に、平家の軍船約500隻
が集結していた。

 平家の総大将は、清盛の二男・内大臣
宗盛だが、温和な文官の為、軍事の指揮
には不向きな男だった。宗盛は2月
21日に屋島の戦いで源義経軍に惨敗し、
平家全軍は長門国(山口県)の国司・知盛
の本拠地・彦島に退いたのだった。
 清盛の4男・権中納言知盛はこの時
34歳。平家軍の副将として戦略を練り、
全軍を指揮していた。平家の中で最も
武士らしい男だったという。一の谷の
戦いで、16歳の息子・知章(ともあきら)
を失っていた。

 そもそも平家は、清盛の祖父・正盛の
代から綾・錦・伽羅・麝香・仏具・書籍
などを扱う日宋貿易で富を蓄え、勢力
を拡大してきた巨大海運商社のような
性格を持っていた。得意先には京の貴族
の他、奥州平泉の藤原氏がいた。平家は
播磨・淡路(兵庫県)、阿波(徳島県)、
讃岐(香川県)、備中(岡山県)、周防・
長門(山口県)を知行国として、瀬戸内
から九州にかけての海上交通の支配権
を確保していた。

 屋島と赤間ヶ関という本拠地は、
瀬戸内海という袋の両端に位置している。
この両端さえ封じておけば、中身である
湊や水軍衆という制海権は、全て平家に
帰属する。それゆえ、屋島を放棄した
事の意味は重大だった。袋の一端が開き、
中身がどっとこぼれ出たような事態に
なったからである。
 その中身とは、塩飽諸島の塩飽水軍、
伊予国今治(愛媛県今治市)の河野(三島)
水軍、因島の村上水軍、豊予海峡の
真野水軍などである。彼ら瀬戸内水軍衆
が、紀伊国(和歌山県)の熊野水軍に呼応
して、源氏方に合力したのである。
36
最初 前へ 33343536373839 次へ 最後
ページへ 
ページの先頭へ