歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/25
最終更新日:2011/03/25 12:27

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱3(東洋文明編)」 第2章 東方精神の章(仏・密・禅)
 放心の逆が「凝り固まる」
通常人間の心というものは、
何らかの信念や信条、常識、
好き嫌いの感情などで何か
に執着したり、偏ったりして
いる。ゆえに兵法では、戦う
際に相手を凝り固まらせて
しまえば必ず強弱の歪みと
隙が出来る、という戦略を
立てる。わざとニセ情報を
流したりして、相手の注意
をそちらに引きつけるので
ある。そしてその裏をかく
わけである。技を磨いた
スポーツ選手が、無心の
境地で勝利する時、いち
いち「ああしよう、こう
しよう」などと考えて
いないという事である。

 「うつるとも月もおもわず 
  うつすとも水もおもわぬ 
  広沢の池」

と、沢庵は語る。月は水に映
ろうと思って輝いているわけ
ではなく、池の水も月を映
そうとしているわけではない。
これを「無為」と言う。

 無為とは老子の如き道鏡
の仙人が、松の実を食しな
がら「何もしない」事では
ない。そうしたイメージこそ
「心の垢」と認識した方が
いい。天から流れ込んできた
音楽をそのまま楽譜に書き
写したモーツァルトや、
「ありがたい事に鑿が勝手
に板の上で遊ぶからねぇ」
と板画を刻み続けた棟方志功
など、まさに無為の人なので
ある。諸芸の極意は無為と
無心で丸めこめる。

 沢庵は3代将軍・家光の
師として、江戸・品川の
東海寺に住し、1645
(正保2)年に73歳で寂し
た。最期の書(遺偶・ゆいげ)
に「夢」とただ一字。きりっ
とした正統派の、力強い書体
だ。凡俗の太閤秀吉が、
センチメンタルに「夢のまた
夢」と人生を回顧した「夢」
と、大悟の禅僧最期のメッ
セージとして書した「夢」
とでは、意味あいがまるで
違う。夢とは心がつくりだす
幻。心を放れた無心の人に、
夢は存在しない。沢庵の
「夢」は禅門の公案なのである。
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