今昔玉手箱2/聖書文明編
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/24
最終更新日:2011/03/24 13:09

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今昔玉手箱2/聖書文明編 第2章 ダークマインドの章(人の心は複雑怪奇)
 覚醒した意識とは、あらゆる
二元対立を超えた「境地」なの
だろう。比較すべき差別相の外側・・
などと言われても、麻原のような
凡俗の意識ではそれが理解出来ない。
エゴから派生する思考は、二元対立
の価値観に支配されているから、その
枠の中でしか考えられない。光と闇、
善と悪、支配と被支配、上と下、
天国と地獄、優越と劣等、力の強弱、
敵と味方、オウムと非オウム。閉じた
円の中の相対世界だ。

 教祖・麻原の思考には「支配と
被支配、偉い・偉くない」という
構図があった。仏陀という覚醒者は
「偉い」存在だ。偉くなれば、トップ
に登りつめれば、「支配できる」と
考えた。そこから「宗教的独裁者」
という発想が生まれた。皮肉な事だが、
覚醒者の境地とは、そうした差別相
を客観的に「観照」する能力を持った
意識の事を言う。偉い・偉くないと
いう価値観そのものが無意味である。

 エゴの思考から麻原は、自分が
最も偉いという、自我のインフレー
ション状態に陥った。自らを「最
解脱者」だと、自他に言い聞かせた。
滑稽な話だが、意識の成長に「最終」
などというゴールは存在しないだろう
に。この論理だと、仏陀とイエスと
孔子と老子とでは、誰が一番偉くて
誰が最終なのだという話になる。

 人は誰しも迷いながら生きている。
逆境を脱出し、偉くなりたいと思う
のを責める事は出来ない。支配したい
という野心もあるだろう。信者として
信じたいという気持ちも、戦時中の
日本人の行動を省みてオウム信者に
重ねると、断固否定する事が難しく
なる。人間心理は複雑で脆い。

 だが麻原は、解脱者が緊急避難的
に他者の生命を奪ってもいいなどと
いう、秘密金剛乗(タントラ・
ヴァジュラヤーナ)を説き、それを
実践してしまった。仏陀のような
覚醒者とは、あくまでも意識レベル
の「境地」であって、他者の魂を
どうこう出来る特権など、あるはず
もない。それがわからず、未だに
麻原を盲信する「オウム」は、
やはり怖い。
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