今昔玉手箱2/聖書文明編
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/24
最終更新日:2011/03/24 13:09

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今昔玉手箱2/聖書文明編 第2章 ダークマインドの章(人の心は複雑怪奇)
○宗教的タブー


 仏教とは、煩悩根絶を説いたもの
だと信じられている。だが、根絶
あるいは「肉体(欲望)」の放棄という
発想や修行は、生命無視のニヒリズム
(虚無)の世界に通じているように
思われる。極めて不自然なのだ。

 では仏陀という精神世界の巨人は、
「禁欲」を説いたのか。一部の経典
には確かにそう書いてある。だが違う
のではないかと思う。仏陀が語ったと
すればおそらく、「肉体の快楽のみに
執着する事は、苦しみの原因になる」
というような内容だっただろう。
「だから肉体の快楽に執着する自分
の意識の状態を、客観的に観察出来る
ように心がけなさい」と。

 微妙なニュアンスの違いだが、
「禁欲」とは雲泥の差が出てくる。
そもそもゴータマという男は、愛欲
生活と禁欲生活の両方から離れ、悟り
を開いて仏陀となり、「中道」を説いた
人物だ。自然の本質を理解し、人間の
内面を洞察しきった仏陀が、男女両性
の存在意義について理解しなかった
はずがない。肉体から「性」を切り
離し、セックスだけを罪悪視して
特別に切り離してしまう理由など
どこにもない。仏陀の人生と説法を
総合的に判断すると、そういう結論に
なる。

 仏教が煩悩根絶の禁欲宗教になって
しまったのは、一部の経典にこだわり
過ぎた為だろう。たとえば、「出家の
功徳」として知られている「パーリ語
大蔵経長部経典・沙門果経」では、
やたらと戒律が説かれ、「愛欲を断ち、
淫らな行いを断つ」と明記されている。

 なるほど、これらの経典に接した者
は、経典の内容イコール仏陀の説法だと
思うだろう。だが果たして本当にそう
だろうか。仏教はジャイナ教を「外道」
として遠ざけた。そのジャイナ教の
教義である「五戒・十戒」の戒律が、
なぜ「出家の功徳」で同じように
説かれているのか。どうもその辺が
不自然で怪しいのである。
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