歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第4章 黒の章(悲惨な戦争と希望の光)
 海軍は鹿児島県の国分第二、串良、
鹿屋に、陸軍は知覧と万世に特攻基地
があった。彼らは、薩摩富士と呼ばれる
開聞岳(922m)を眼下に見て日本に
別れを告げ、南海上の米艦隊に体当り
攻撃を行った。いずれも20歳前後の
見習士官たちだった。
 このうち知覧基地には、「ホタル」
の話が語り継がれている。1945
(昭和20)年6月5日夜、宮川三郎
軍曹は行きつけの富屋食堂で、明日の
出撃を前にして遺書を書いていた。

「俺、死んだらホタルになってここに
戻ってくるよ。」

 宮川は、知覧の特攻隊員たちから
「おかあさん」と慕われていた、富屋
食堂の鳥浜とめにそう言った。とめは
1902(明治35)年生まれで、当時
43歳。昭和4年に食堂を開業し、
娘と共に特攻隊員の世話をしていた。

 宮川は新潟の長岡工業学校を卒業後、
仙台航空機乗員養成所でパイロットに
なった男だった。翌6日に出撃し、
南海に命を散らした。その夜9時頃、
富屋食堂には、遺書を書いている
特攻隊員が7~8名いた。彼らの
頭上に一匹のホタルが現れ、天井に
止まった。宮川の言葉通り、彼が
ホタルになって戻ってきたのだと
誰もが思った。
 
「たましひの たとえば秋の 
ほたるかな 」

芥川龍之介の死に際し、俳人の
飯田蛇笏が詠んだ句である。人1人の
魂は、か細げな蛍火の哀切に似ている
のかもしれない。終戦時、太平洋の
夜空には、数百万の蛍火が乱舞して
いたという幻想がよぎるのである。
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