歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第4章 黒の章(悲惨な戦争と希望の光)
 7月7日。木村少将は一水戦旗艦
「阿武隈」に乗船し、軽巡「木曽」、
駆逐艦「島風・綾波・大波・五月雨・
白雲・薄雲・朝雲・響・若葉・初霜」、
高速油槽船「日本丸」という、快速船
13隻を従えて、千島列島・幌筵
(ほろむしろ)島を出港した。

 7月11日、キスカ島南西500海里
まで接近。しかし霧が晴れてきた。進む
か退くかの判断に迫られた。

「引き返す。また来よう。」
木村少将は作戦を中止し、帰港した。

「キスカの目前で引き返すとは、
何たる腰抜け。」
第五艦隊の将校たちは、木村少将に罵声
を浴びせた。

 木村は1891(明治24)年12月、
鳥取生まれでこの時41歳。海兵41期
118名中107番と、成績優秀とは
いかなかった。朝凪や帆風といった小型
艦艦長を長く務め、船の事なら隅から隅
まで知り尽くした現場のたたき上げだっ
た。半分ふてくされた表情で部下と将棋
を指し、「精神論だけで戦さに勝てる
か、馬鹿どもが」と風評を受け流し
ながら、霧を待っていた。

 7月19日、「幌筵からアリュー
シャンに霧発生。当分晴れる模様なし」
と、気象班から報せが届いた。22日
夕刻、軽巡「多摩」と海防艦「国後」
を加えた一水戦隊16隻が、再び出港
した。濃い霧の中、全艦無灯火での
隠密航行である。艦と艦がぶつかる
事もたびたびあった。

 7月25日、米艦隊はキスカ島南西
200海里に集結。レーダーに日本艦隊
をとらえ、1千発余の砲弾を射ち込んだ。
ところがこの攻撃は、近くの島を艦隊
と見誤っての誤射だった。この頃一水
戦隊は、キスカ島西側を航行中だった。
 この海域は、潮流が速く岩礁だらけ
の難所だった。木村少将は曲芸のような
操船術で、右に左に船を蛇行させながら、
29日キスカ湾に突入した。守備隊
は救援艦隊を見て泣き崩れたという。

 峯木十一郎陸軍少将以下2400名、
秋山勝三海軍少将以下2800名の
キスカ島守備隊は、12隻の大発
(上陸用舟艇)に分乗し、僅か55分で
撤退を完了。8月1日、無事帰還した。

 8月15日。米軍2万9100人、
カナダ軍5300人が軍艦100隻で
キスカ島上陸作戦を敢行。莫大な砲弾
を射ち込んだ後に上陸し、彼らが
見たものは、無人の島に日本軍が
残していった3匹の犬だけだった。
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