歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第1章 江戸東京玉手箱(世界の大都市お江戸裏事情)
 領地争いならば取り潰しの口実
になるが、原田甲斐乱心の末、
伊達安芸に刃傷(にんじょう)と
いう事件だとそうはいかなくなる。
加えて久世大和守は密約書を酒井
に示して脅しをかけた為、酒井の
伊達家分断作戦は失敗に終わり、
62万石は安泰。伊達兵部は
一関の所領没収の上、土佐山内家
に預けとなった。原田甲斐は逆臣
の汚名を着たままだが、身を捨てて
伊達家を守り抜いた大忠臣でもある
のだ。

当然ながら平安末の伊達家初代・
朝宗)ともむね)の頃から19代に
わたって仕えてきた宿老・原田家
は断絶。嫡男・原田帯刀宗誠
(たてわきむねもと)25歳、次男
飯坂仲太郎23歳、三男・平渡
喜平次22歳、四男・剣持五郎
兵衛20歳、切腹。宗誠の子・
采女(4歳)伊織(1歳)斬首。甲斐
の母・慶月院は船岡屋敷を出た後、
食物を断ち絶食死。原田家家老・
堀内惣左衛門は船岡館に火をかけ、
原田家の菩提寺・東陽寺で切腹
して果てた。

将門塚がある武蔵国豊島郡柴崎村
という地名だが、そもそも武蔵国
とは、現在の東京都と埼玉県を
合わせた地域を指し、21郡から
成っている。平安時代の末頃から、
武士が荒地を開墾して田畑にして
ゆくまでは、多摩川沿いにわずか
な平地があるだけだった。さらに
関東ローム層の赤土は、粘りが
なく、水や土の栄養分を受け止め
にくい荒れた土のため、作物
が育ちにくかったのだ。
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