歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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ジャンル:未設定
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第2章 幻の章(おとぎ話や妖怪の事など)
 時の権力者が、対抗勢力の陰謀に
よって失脚や暗殺という事態に陥ると、
死して後も怨霊にされてしまう事が
多い。645(大化元)年に、中大兄
皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣
鎌足(なかとみのかまたり)らの、
いわゆる大化の改新によって斬殺
された蘇我入鹿(そがのいるか)も
その1人である。入鹿の首は胴体
から飛び上がって、帝の御簾(みす)
に食らいついたと噂された。入鹿の
怨霊は、皇族・朝臣を次々に呪殺
していったという。

 大体において、攻め滅ぼした側が
怨霊を恐れて、寺や神社を建立する。
学問の神様・菅原道真も、当時の
大怨霊だった。彼は藤原時平一派に
よって失脚し、903(延喜3)年に
筑前国(福岡県)大宰府で59歳の
生涯を終えた。5年後、時平一派の
藤原菅根が雷雨の中で急死。続いて
時平も病死。時平の妹を母にする
保明新王も、21歳の若さで急死
した。

 保明新王の死は、923(延喜
23)年だから、道真の死から
20年も経過している。だが当時
の人々は、天変地異や疫病などの
不幸を、道真の怨霊と関連づけた。
930(延長8)年、京都御所清涼殿
に落雷があり、大納言藤原清貴と
右中弁(うちゅうべん)平希世が即死。
紫宸殿(ししんでん)にも落雷があり、
蔵人や女官が死亡。そのショック
から、醍醐天皇が病死するに及んで、
怨霊道真への怖れはピークに達した。
942(天慶5)年に北野天満宮を
建立し、道真を主祭神として祀るに
至るのである。

 御所落雷事件の930年から、
北野天満宮建立までの間に起こった
のが、「承平・天慶の乱」である。
坂東では平将門が、常陸国(茨城県)
・上野国(群馬県)・下野国(栃木県)
の国府を攻め落とし、瀬戸内海では
海賊を率いた藤原純友が反乱を
起こして暴れまわっていたのである。
 平将門は、いとこの平貞盛・藤原
秀郷連合軍に攻められ、940(天慶
3)年2月、下野国で乱戦の末戦死
する。だが将門の無念の思いは、
新たなる怨霊となってこの世に
とどまる事になる。
 その後も、1156(保元元)年の
保元の乱に敗れて讃岐国(香川県)に
流され、日本最大の怨霊となった
崇徳上皇や、1221(承久3)年の
承久の乱に敗れ、隠岐島へ流された
後鳥羽上皇など、次々に無念の思い
を抱いた怨霊が登場してくる事に
なる。この世とは、それほど未練の
残る世界らしい。
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