歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第1章 江戸東京玉手箱(世界の大都市お江戸裏事情)
 慶喜に従って、旧幕臣の多くが無禄
のまま駿府・遠江・三河(静岡県・愛知県)
に移住してきた。山岡は清水一家と共に、
旧幕臣救済策として、三方ケ原台地
や牧の原台地の開墾事業に尽力した。
やがて荒地は茶畑などに姿を変えていっ
た。

 山岡は静岡と改称された、駿府の
徳川慶喜をたびたび訪れた。土産は
いつも「木村屋のあんぱん」であった。
山岡と木村屋の関わりは、浅利道場に
始まる。
 そもそも木村屋のあんぱんとは、
1817(文化14)年生まれの木村
安兵衛が考案した事に始まる。木村は
武士として、江戸市中取締監察隊長の
職にあった。維新によって失職した
木村は、東京府授産所という、いわゆる
職業訓練所に勤め、パン作りを学んだ
のである。
 その木村の妻・ぶんの弟・貞助が、
水戸藩の「天狗党事件」に連座して藩
を追われ、江戸に出た。その時通って
いた剣術道場が浅利道場だったので
ある。
 当時のパン種には、甘酒やホップ種
を用いていた。木村は米糀(酒種)を
採用した。酒種は糖分を用いても発酵力
が盛んであり、冷えても柔らかさが
保たれたからである。明治7(1874)年
に銀座4丁目に新店舗を出店した頃には、
現在食べられている「酒種あんぱん」の
味が完成されていた。


 上品な甘味のあん、日本酒のほの
かな香りを保つパン生地、塩漬けの桜
(八重桜)の花びらの三味一体。徳川
慶喜は「うまい」を連発しないわけが
ない。かといって、多忙の山岡の土産
だけを待っているわけにはいかない。
そこで清水次郎長が登場する。彼が
慶喜の雑用係として、木村屋のあん
ぱんを届けたのである。
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