歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/11
最終更新日:2011/03/11 11:01

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歴史エッセイ集「今昔玉手箱」 第1章 江戸東京玉手箱(世界の大都市お江戸裏事情)
 江戸時代中期、天明の大飢饉
などでバブルが弾け、田沼意次
が失脚すると、老中の座に就いた
のが松平定信だった。バブル政治
の田沼とは真逆の緊縮財政・質素
倹約の寛政の改革と相成った。
禁欲主義者の定信は朱子学以外の
異学を禁じ、言論・風俗を厳しく
取り締まった。

 林子平の海国兵談は板木召し
上げ。本人は一切の活動を禁じ
られて幽閉の身となった。ぜい
たくは敵だという事で、歌舞伎
の上演禁止。好色本(ポルノ)
発行禁止。町人+農民の絹織物
着用禁止。そして神代の昔から
日本人の良き風習であった混浴
禁止。1791(寛政3)年1月、
定信31歳の事だった。

 まっ、3日くらいは「お上の
おふれ」に従ったものの、「冗談
じゃないよねー。やってられない」
とおふれを破ったのは、江戸の
女たちだった。

「白河の 清きに魚のすみかねて 
 もとの濁りの田沼恋しき」

と、狂歌が定信を痛烈に皮肉った。

 20年後の江戸の湯屋は、混浴
(入れ混み湯)371件、男湯141
件女湯11件。このうち男湯には
綺麗なお姉さんたちがいて、背中
を流してくれた。

 1842(天保13)年、水野忠邦
の天保の改革でも混浴禁止のおふれ
は出されたが、これも三日法度。

「二本差しが恐くてうなぎが
 食えるかい!!」

と、武士の権威は失墜していた。

 明治以降、混浴禁止が徹底されて
ゆく。

「ヨーロッパでは女性が人前で
裸になるなど、考えられませーん。
銭湯は野蛮人の風習そのものでーす。
ヨーロッパより文化的に劣った
民族を指導し、文化的生活に導く
ことが神の道でーす」という欧米人
と、盲目的欧米信仰に傾いた政治家
+教育・文化人による成果といえる。
混浴の是非よりも、こういう奴等に
洗脳されている現在の日本人の姿
の方がが不愉快である。
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