歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
第1章 江戸東京玉手箱(世界の大都市お江戸裏事情)
ちなみに仙台坂上を左折した
三の橋交差点付近の、南麻布2ー9ー
22に曹渓寺があり、その初代住職
が絶江という名だそうだ。曹渓寺墓地
の裏(南麻布2丁目と3丁目の間に
ある絶江児童公園前の坂道が絶江坂。
また釜無とは、朝飯を炊いた釜を
質入れし、その日の稼ぎで請け出す
という、始終釜が無い生活だから
釜無だとか。
木蓮寺も金目の物は売り払って
何も無い貧乏寺。和尚のお経は
「いろはにほへと・ちりぬるを・・
虎が鳴く、虎が鳴く、虎が鳴いては
大変だぁ」と意味不明なもの。この
出鱈目さの味わいは、志ん生以外
には出せないだろう。
寺で焼き場の切符をもらって、
一行は桐ヶ谷の焼き場(品川区五反田
5-32/桐ヶ谷斎場が現存)へと
向かう。仙台坂上から三の橋、第2
京浜を南下して、古川橋から高輪台、
五反田駅前から西五反田8丁目、
中原街道から桐ヶ谷の焼き場まで、
全行程35km徒歩9時間弱・・・
金兵衛さんは焼き場の者に注文を
出す。
「腹のとこだけ、生焼けにしてくれ!!」
「そんな無茶な!!」
翌日、焼かれた死体と一人対面した
金兵衛さんは、骨そっちのけで金を
拾い集めた。その金を元手にして、
目黒で「黄金餅」という餅屋を開き、
たいそう繁盛しましたとさ。めでたし、
めでたし(拍手)
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