今昔医療福祉外伝
第10章 ホスピス(上) /ホスピスの成り立ち
小泉のホスピス運動に呼応した
1人が、長岡市在住の飯田女子短大
教授の田宮仁だった。田宮は「県仏教者
ビハーラの会(代表・木曽隆)」の一員
としてホスピス建設を推進。田宮の兄・
崇が経営する長岡西病院の一角に、
新病棟を建設するに至ったのである。
浄土真宗系の寺にはかつて、「往生院」
「涅槃堂」と呼ばれる、末期ケアの
為の施設があったと、田宮は語る。源信
(942~1017)の著作「往生要集」
という、ターミナル・ケアについて
記した本もあった。仏教が衆生救済
という、本来の生命力を取り戻せるか
否かは、「ホスピス運動」の成否が象徴
的に語りだすはずである。
1993(平成5)年9月。聖路加国際
病院院長の日野原重明は、長年の夢で
あった独立型ホスピス「ピース・ハウス・
ホスピス」開設にこぎつけた。日野原が
理事をつとめる(財)ライフ・プランニング
センターが、神奈川県や日本船舶振興会
から約6億円の寄付を得て、神奈川県
平塚市の北西・中井町に建設。富士山や
丹沢連峰を望む、絶景の地である。外観
も室内も、病院というよりは、ホテルか
ペンションといった感がある。中庭には
花々が咲き乱れている。個室12室、
2床室1、4床室2。医師6名、看護婦
17名、宗教者1名、ケースワーカー1名、
薬剤師1名、栄養士1名、その他調理師、
環境整備員、ボランティアなどのスタッフ
で構成されている。
日野原は、1970(昭和45)年に、
日本赤軍による「よど号」ハイジャック
事件に、乗客として遭遇。死の恐怖と
向かい合った。機内で4日間を過ごし、
若き日の闘病体験を回想する。ドスト
エフスキーの「カラマゾフの兄弟」を、
機内で読み続けた。
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