今昔医療福祉外伝
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ジャンル:ノンフィクション
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/02
最終更新日:2011/03/02 11:02

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今昔医療福祉外伝 第7章 幕末任侠医・高松凌雲(りょううん)伝(上) /緒方洪庵と適塾の事
 16歳の時、家出して大阪へ。稲村
三伯の弟子・中天遊の門人となった。
稲村は「ハルマ和解(わげ)」という
名の蘭日辞書をつくった人物である。
この当時、人々は「オランダ語を
読むと目が青くなる」という俗説を
疑っていなかった。蘭学は「異端」
に近く、世間の風当たりは厳し
かった。だが洪庵が目撃した漢方医
学は、コレラに対して無力だった。
洪庵は何のためらいもなく蘭方を
選択した。

 洪庵は21歳の時江戸に出て、
宇田川玄真の弟子・坪井信道の門下
となった。稲村三伯と宇田川玄真
とは、仙台藩医にして蘭医学者の
大槻玄沢の塾「芝蘭堂(江戸・京橋)」
の同門だった。

 洪庵は27歳で長崎へ旅立つまで
の6年間を、「あんま」などの
アルバイトをしながら、「人身窮理
(生理学)小解」や「視力乏弱病論」
などの翻訳をものにしていった。
そして1838(天保9)年、洪庵
29歳の時、「適塾」を創設。以後
20数年にわたって多くの門人を
輩出し続けてゆく。

「医者ってのは、病気で苦しんでる
人を見ると、いてもたってもおられん
人間の事を言うんや。無条件にやで。
そういう性分でないやつ、身分が
どうの、銭金がどうの、立身出世が
どうのと考えるようなやつは、医者
になったらあかん。」

洪庵は事あるごとに、弟子たちにそう
教えていた。
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