今昔医療福祉外伝
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ジャンル:ノンフィクション
シリーズ:今昔玉手箱

公開開始日:2011/03/02
最終更新日:2011/03/02 11:02

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今昔医療福祉外伝 第3章 古代医療伝
 聖徳太子は、本名「厩戸皇子(うまやどの
みこ)」。西暦574年に用明天皇の公子
として、現在の奈良県高市郡明日香村の
橘寺で生まれた。当時、中国大陸は隋(ずい)
帝国が、朝鮮半島北部は高句麗(こうくり)、
南部は新羅と百済が支配しており、日本
との文化交流も盛んだった。日本はこの頃、
地方豪族が割拠する古代国家から脱して、
中央集権的統一国家へと移行する過渡期に
あった。

 太子は幼い頃から、英才教育を受けて
育った。当時の新興宗教だった仏教を、
高句麗の僧・恵慈などから、四書五経
(大学・中庸・論語・孟子・易経・詩経・
春秋・礼記)を中心とした儒教を覚哥
(かくか)について学んだ。教える方が
第一級の人物なら、教わる太子も、
伝説を生むほどの聡明な人物だった。

 仏教にしろ儒教にしろ、知識だけを
詰め込む現代教育の「お勉強」とは、
根本的に質が違う。宇宙の本質と自然
の理法を洞察し、人間の本質と生き方
の哲学を思考する事を目的としていた。
太子はこうした学問によって人間を
練り、物事の本質を見抜く洞察力、
慈悲の尊さ、さらには卓越した国際
感覚を身につけていった。

 太子が学んだ書物の中に、過去の高僧
や名君の伝記に類するものがあったとして
もおかしくはない。太子は何らかの形で
アショカー王の業績に触れ、深い感銘を
受けたのかもしれない。

 593(推古元)年4月、19歳の太子
は、日本初の女帝・推古天皇を補佐
して政治を行う「摂政」となった。
太子は早速、少年時代からの念願だった
仏教寺院の建立を命じた。難波
(大阪市天王寺区元町)の「四天王寺」
である。翌年2月には、
仏教興隆のみことのり詔が発せられた。
今後日本は、仏教文化を積極的に取り
入れるぞという、国家の一大方針が打ち
出されたのである。これによって、日本
古来の神々を信仰していた大伴氏、物部氏
といった有力豪族が中央政界から失脚。
仏教支持の蘇我氏が、新しい勢力として
力をつけていった。
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