虹の橋を渡ったゾウ
虹の橋を渡ったゾウ
アフィリエイトOK
発行者:オフィス亀松亭
価格:章別決済
章別決済は特定の章でのみ課金が発生いたします。
無料の章は自由にお読みいただけます。

ジャンル:ノンフィクション

公開開始日:2011/03/01
最終更新日:2011/03/01 10:29

オーナーサイトへ
アフィリエイトする
マイライブラリ
マイライブラリに追加すると更新情報の通知など細かな設定ができ、読みやすくなります。
章一覧へ(章別決済)
虹の橋を渡ったゾウ 第1章 印度象鎮魂歌(上) 動物処分命令
○動物処分命令

 1942(昭和17)年4月18日
午後12時25分、帝都・東京に
初の空襲警報が出された。不気味に
鳴り響くサイレンの音に重なって、
双発の爆撃機1機が高度500
メートルの超低空で、上野動物園
上空を中野方面に飛び去っていった。
この時の目撃者によると、飛行士は
オレンジ色のマフラーをしていたと
いう。

 動物園は土曜日の昼間という
こともあって、1300人の人出で
賑わっていた。人々は動物園警備班
の誘導で安全地帯に退避してけが人
などは出なかったが、誰もが不安と
驚きのまなざしで上空を見上げて
いた。真珠湾攻撃の大勝利で、
アメリカ太平洋艦隊は全滅した
はずだった。

 この日、アメリカの空母・ホー
ネットは、千葉県犬吠埼東方
1100キロの海上にあった。
ドゥリットル陸軍中佐が指揮する
16機のノースアメリカン・B25
中型爆撃機が、午前9時から10時
にかけてホーネット飛行甲板から
飛び立っていった。東京方面に
13機、名古屋・大阪・神戸に
各1機ずつだった。

 B25の航続距離は2170キロ。
ホーネットは日本領海のレーダー網
の盲点をつき、B25が目的地を往復
するに足るぎりぎりの地点に接近した
わけである。この決死的作戦の意図は、
これから反撃に転じるアメリカ軍の
意気込みを示したもので、いわば
大々的なデモンストレーションで
あった。

 この日の空襲による被害はほとんど
なかったが、帝都上空を敵機に侵された
日本国民の精神的衝撃は大きかった。
ホーネットは作戦終了後、ただちに
反転して真珠湾基地に引き揚げて
いった。
1
最初 前へ 1234567 次へ 最後
ページへ 
TOP