原爆
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公開開始日:2011/02/28
最終更新日:2011/02/28 10:54

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原爆 第1章 1・マンハッタン計画
○マンハッタン計画<2>


 ジョン・ロバート・オッペンハイマー。
1904年4月22日、ニューヨ―ク
生まれのユダヤ系ドイツ人である。
自然科学が好きだった。仏教やインド
哲学を探究し、「全人類の福祉を科学
によって増進させる」のが念願だった。
もし彼が、ナチスドイツによる
「ユダヤ人大虐殺」という事態に遭遇
しなければ、良心的な自然科学者として
の夢を実現させていただろう。しかし
オッペンハイマーの同胞である、ドイツ
系ユダヤ人16万人のうち14万人が
虐殺されていた。彼の夢や良心を吹き
飛ばすに十分な「怒り」だった。

 オッペンハイマーは、1943年1月、
原爆研究所である「ロス・アラモス
研究所」の所長に任命された。研究所
はニューメキシコ州サンタフェ郊外の、
人里離れた高台にあった。ここに
全アメリカの頭脳が結集した。研究所
は7部門で構成されていた。理論物理部
(部長/H・A・ベーテ博士)、実験
原子核物理部(部長/R・R・ウィル
ソン博士)、化学・治金部(J・W・ケネ
ディ博士・S・スミス博士)、兵器部
(部長/W・S・パーソンズ海軍大佐)、
爆薬部(部長/G・B・キスティアコワ
スキー博士)、爆弾物理部(部長/R・
F・パシェル博士)、高級研究部
(部長/E・フェルミ博士)。

 オッペンハイマーは、これら7部門
の統括責任者だった。当然の事だが、
この研究所で原爆をつくる事に少しでも
疑問を持つ者は除外された。

「爆弾や銃弾で死ぬのも原爆で死ぬ
のも、死ぬ事に変わりはない。」
ロスアラモス研究所での、一般的な
考え方だった。

 オッペンハイマーは、自らの原爆開発
もさることながら、ナチスの原爆開発の
動向も絶えず気にしていた。そして
それが可能な科学者は、ハイゼンベルク
をおいて他にはいないと確信していた。
オッペンハイマーより3歳年下の天才
理論物理学者は、「不確定性理論による
量子力学の新解釈」により、1932年
にノーベル物理学賞を授与されていた。

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