原爆
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公開開始日:2011/02/28
最終更新日:2011/02/28 10:54

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原爆 第7章 7・原爆投下はなかった
 霊は位里と妻の俊の筆を通じて
形になった。1950(昭和25)年、
位里と俊の共同制作により「原爆の
図 第一部・幽霊」を完成させた。
以後1982(昭和57)年までに
15部を制作。全世界1億人以上の
人々がこの絵を見る事になる。
さらに丸木夫妻は、「南京大虐殺の
図」「アウシュビツの図」「水俣の
図」「沖縄戦の図」などを次々に
発表。人類社会の闇を告発し続けた。

 修道中学3年生の平山郁夫は、
爆心地から2・5キロ離れた陸軍
兵器補給廠の材木貯蔵所にいた。
グレートアーティスト号が投下した、
落下傘付き測定機材を目撃した。
彼が貯蔵所内に入ったのと、原爆
の閃光とがほぼ同時ぐらいだった。
爆風。熱い衝撃波。底知れない
恐怖感に襲われた。平山はその後
20時間余をかけて、生口島
瀬戸田町の実家へ避難した。

 20代の平山は、白血球の減少
と貧血で何度も倒れ、死の恐怖と
直面した。苦しみもがく友人たち
の姿を夢に見てはうなされた。
のたうちまわる精神の、闇の彼方
に仏教があった。1959(昭和34)
年、平山は「仏教伝来」を描き、
日本画家としてデビューする。だが、
広島の被爆体験はトラウマとなって
克服出来ずにいた。

 彼がヒロシマを主題に筆をとった
のは、戦後34年を経た1979
(昭和54)年の事である。「広島
生変図」。画面いっぱいに描かれた
紅蓮の炎。一体の不動明王。全てを
焼き尽くすかのような炎は、平山の
内なる闇を昇華へと導いてくれたの
だろうか。
 彼はその翌年から、奈良・薬師寺
三蔵院の、高さ2メートル、幅42
メートルの大壁画制作にとりかかった。
それは、玄奘三蔵がインドに仏教を
求める17年の旅がテーマだった。
2001年1月1日、壁画は完成し、
彼は70歳になっていた。原爆の
後遺症は未だに残っているという。
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