原爆
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公開開始日:2011/02/28
最終更新日:2011/02/28 10:54

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原爆 第7章 7・原爆投下はなかった
 原爆孤児の救済に立ち上がったのは、
広島修道院や長崎・聖母の騎士などの、
カトリック系修道会だった。広島・
流川教会の谷本清牧師は、いわゆる
「原爆乙女」と呼ばれる女性たちの
為に、聖書研究グループを組織した。
谷本の呼びかけに答えて、日本ペン
クラブの石川達三らが原爆乙女たちの
治療救済を支援した。また作家の
パール・バックらは、1949年
3月23日、ニューヨークに「広島
ピースセンター」を設立し、反核
運動に立ち上がった。


○原爆投下はなかった<2>


 1957(昭和32)年9月21日。
写真家の土門拳は、広島赤十字・
原爆病院の一室にいた。週刊新潮の
依頼により、戦後の広島を取材に
来たのだった。土門もまた、他の
日本人同様、玉音放送も原爆も過去
の出来事だと思っていた。しかし
土門は、原爆の現実に打ちのめされた。
病室のベッドに寝ている、豊島小学校
6年生の梶尾健二は、急性骨髄性
白血病で間もなく死を迎えようと
していた。

 健二は原爆投下当時、母の胎内に
いた。母は8月7日に広島市に入り、
伯母を捜して6日間歩きまわった。
健二は胎内被爆者となった。放射能は、
ゆっくりと時間をかけて人間をなぶり
殺しにしてゆく毒物である。

「先生・・写真を撮って・・」

この世の理不尽を訴えるような健二の
声を、土門は生涯忘れなかった。

 日本画家の丸木位里、当時44歳。
彼は父親と多くの親戚を原爆で失った。
8月9日広島着。焼けただれ、死体の
山が連なる街を、彼は一ヶ月近くも
さまよい歩いた。海から川へ逆流した
腐乱死体が、強烈な死臭を放っていた。
位里はそこで、一瞬にして命を絶たれた
数多くの霊と対話し、怒りと絶望の闇を
自らの魂に刻印した。
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