原爆
第7章 7・原爆投下はなかった
○原爆投下はなかった<�1>
1945(昭和20)年8月14日
深夜。陸軍航空士官学校生徒隊付
隊長・畑中健二大尉と上原重太郎
大尉らは、クーデターを計画。天皇
が終戦の詔勅を録音したレコード
を奪おうとした。近衛第1師団長・
森赳中将に決起を促した。森は
これを拒否。畑中と上原は、
ピストルと刀で森を殺害した。
しかしこの反乱は、朝5時まで
には鎮圧され、畑中らは自決した。
8月15日午前5時30分。
永田町の陸軍大臣官邸内大臣室
にて、陸相の阿南惟幾大将は、
「一死以テ 大罪ヲ謝シ奉ル」と
遺言し、切腹して果てた。楠正成
の忠義を尊敬していた、標準的な
軍人だったという。
この日は、東北・北海道地方は
曇りがちで涼しく、東京から西は
晴れて蒸し暑かった。午前6時半。
太平洋艦隊司令長官・ハルゼー提督
は、戦艦ミズーリの艦上にあって、
航空機による攻撃中止命令を発した。
日本の上空から、ようやく爆撃機の
姿が消えた。
正午。NHKのラジオ放送が、
昭和天皇の終戦の詔勅を、全国民
に向けて発信した。当日の朝日新聞
は「大東亜戦争は遂にその目的を
達し得ずして終結するのやむなきに
いたった。科学史上未曾有の残虐
なる効力を有する原子爆弾と、これ
に続いて突如として起こったソ連の
参戦とは大東亜戦争を決定的な
段階にまで追い込んだ」と、終戦に
至った経過を説明している。
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