原爆
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公開開始日:2011/02/28
最終更新日:2011/02/28 10:54

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原爆 第6章 6・長崎市浦上
○長崎市浦上<1>

 
 8月7日朝。天皇は侍従長・藤田
尚徳に、広島の状況を詳細に報告
するよう命じた。その日の夕方陸軍
は、広島に参謀本部第二部長・有末
精三中将を団長とする調査団を派遣
した。調査団の中には、この年の6月
に原爆研究を中止した、理化学研究所
の仁科芳雄博士も同行していた。一行
は飛行機トラブルにより、8日の夕方
広島入りし、原子爆弾が投下された事
を確信した。

 淵田美津夫海軍中佐。彼は運命の糸
に導かれるように、焦土と化した広島
にやって来た。淵田は日米開戦の発端
となった、ハワイ真珠湾攻撃の航空
戦闘隊長だった。1941(昭和16)
年12月7日午前6時(ハワイ時間)、
淵田は空母赤城の一番機に乗り込んで
発艦。アメリカ太平洋艦隊の基地・
真珠湾を目指した。
 日本軍艦爆隊や雷撃隊が、アメリカ
の主力戦艦に800キロ爆弾を命中させ
ているのを見届けた淵田は、日本軍
司令部に「トラ・トラ・トラ(われ奇襲
に成功せり)」と打電した。軍人として
の絶頂期だったのかもしれない。それ
から4年。淵田は呆然として広島の廃墟
に立っていた。
 「ノーモア・ヒロシマ」と日本人が
言えば、「リメンバー・パールハーバー」
とアメリカ人が言い返す。淵田は2つの
言葉の板ばさみになった。戦後、淵田
はキリスト教に改宗し、1952(昭和
27)年洗礼を受けた。渡米して全米各地
1千ヶ所あまりを布教して回った。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは
何をしているのかわからずにいるのです。
(ルカによる福音書第23章34節)」が
淵田の座右の銘だった。

 7日・8日と、日本は米軍に対して、
何の応答もしなかった。米軍はB29
による焼夷弾爆撃を、淡々と続けた。
内閣情報局は、原爆投下の事実を公表
する事に強く反対した。作家の大佛次郎
は、日記に次のように書いている。

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