歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第3章 第3章・相馬黒光(こっこう)

「悪魔の使者とも言う
べき酒を売るとは言語
道断。もし売るなら絶交
です。」

内村にこうまで言われ
ては、愛蔵もあきらめ
ざるをえなかった。

 愛蔵と同郷で、禁酒会
などの活動に参加して
いた後輩に、彫刻家の
荻原守衛(碌山)(ろく
ざん)がいる。1879
(明治12)年生まれだ
から、愛蔵の9歳下、
黒光の4歳下という事
になる。20歳の時
上京して、油絵を小山
正太郎の「不同社」で
学び、2年後に渡米。
さらにその2年後に渡仏
してアカデミー・
ジュリアンに学んだ。

 碌山という雅号は、
夏目漱石の小説「二百
十日」の登場人物「碌
さん」に由来するという。
守衛がしきりに「碌さん
は面白い」と友人たちに
話すので、いつしか彼は
碌さんと呼ばれるように
なった。彼はロダンの
「考える人」や、ミケ
ランジェロの「奴隷」
などの作品に接して作風
に開眼。留学8年で帰国
する。

 帰国後は、新宿・中村屋
近くの角筈新町(西新宿)に
アトリエを構え、「文覚
(もんがく)」「デスペア
(絶望)」「女」などの傑作
を産み出してゆく。そも
そも守衛は、黒光によって
芸術の世界へ導かれ、黒光
への愛慕と煩悶を作品に
結晶させていったのだった。
守衛にとって黒光は、魂の
友でありミューズの女神
だった。

 1910(明治43)年
4月21日、守衛は中村屋
の茶の間で喀血し、翌日
あっけなく死んでしまう。
31歳だった。守衛を
慕って、画家の中村彝
(つね)や彫刻家の中原
悌二郎、高村光太郎など
が集まり、やがて「中村屋
サロン」という磁場が形成
されてゆく。

 守衛の死と同じ頃、武者
小路実篤、有島武郎、柳宗悦
(やなぎむねよし)らが雑誌
「白樺」を創刊。中村屋
サロンと連動しながら、
白樺派や民芸運動という、
大正・昭和という時代の、
新しい文化の潮流を形成して
ゆく事になるのである。
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