歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第3章 第3章・相馬黒光(こっこう)
 この矯風会初代会長・矢島
楫子(かじこ)の甥が、評論家の
徳富蘇峰と、作家の徳富蘆花
だった事から、豊寿は彼らと
親しく交遊する。一方豊寿は
信子という娘を産む。彼女は
作家の国木田独歩を捨てた女
として、有島武郎の代表作
「或る女」のモデルになった
佐々城信子である。

 黒光は叔母・豊寿を頼って
上京し、フェリス女学校に入学
するのだが、佐々城家によく
出入りし、独歩を紹介され、
ワーズワースやツルゲーネフ
などの文学を教えられたという。
独歩の友人には、同じ作家の
田山花袋もいた。
 黒光はフェリス女学校を中退
し、明治女学校へと学校を移る。
ここで英語教師をしていたのが、
若き日の島崎藤村24歳だった。
黒光によると藤村の授業は
「ちっともおもしろくなかった」
という。彼は全体として精彩に
欠け、女学生の間では「石炭がら」
とあだ名されていた。とはいっ
ても黒光は、結婚後信州・小諸
(長野県小諸市)の藤村宅を訪ねて
いるので、仲が悪かったという
事ではないらしい。

 豊寿が最も親しく交際していた
人物に、8歳年下の内村鑑三が
いる。内村は1861(文久元)年
に高崎藩(群馬県高崎市)の武家に
生まれ、武士道と儒教的道義を
厳しくたたき込まれた。キリスト教
に入信するのは、札幌農学校に入学
する10代後半の頃で、渡米して
確固たる信仰に至る。第一高等
中学講師をしていた1891(明治
24)年に、教育勅語に敬礼しな
かった、いわゆる「不敬事件」で
教壇を追われる事になる。自他に
厳しい不屈の人だった。足尾銅山
鉱毒事件では財閥を攻撃し、日露
戦争では非戦を論じた。

 相馬愛蔵もキリスト教を通じて、
古くから内村と交流を持っていた。
愛蔵の郷里は信濃国安曇郡(あずみ)
白金村(長野県穂高町白金)だった。
彼はこの村で養蚕事業を行なう傍ら、
東穂高禁酒会を組織して会長を務め、
あるいは孤児院救援活動を行なう
などの、キリスト教的社会活動を
展開してゆくのである。
 だが愛蔵は、内村ほど厳格では
なかった。禁酒を主張していた
はずの彼が、中村屋を立ち上げた
頃、利益率の良さから洋酒を
扱おうとした事がある。内村
は激怒した。
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