歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第3章 第3章・相馬黒光(こっこう)
 中村屋裏のアトリエは、荻原
守衛(碌山)が設計し、つい先頃
まで画家の中村(つね)彜が住んで
いた。それゆえ炊事場やトイレ
もあった。そこで2人の印度人
を迎え入れたのは、愛蔵の妻・
良(筆名・黒光)40歳だった。
 新宿中村屋を実質的につくり
育ててきた女主人・黒光は、
愛蔵以上に「任侠の人」だった。
いざとなったら、私が罪を一身
に被ろうと胆を決め、2人の
印度人の世話をやいた。英語は
女学校時代から得意だったので、
何とかなった。加えて中村屋は
パン屋である。朝食のパンには
事欠かない。

 しかし、印度人の食事の好み
がわからない。黒光が困って
いる所に、ボースからメモが
届いた。

「カレー粉・骨付きチキン・
野菜・スパイス類・ヨーグルト」

ボースが「カリーライス」と
呼ぶものの材料だった。

 カレーは1872(明治5)年、
西洋料理指南なる本で初めて
紹介され、20年を経てよう
やく庶民に普及する。このカレー
ライスは、イギリスから取り
入れた洋食で、インド料理では
なかった。
 ボースは黒光に、ベンガル風
カリーライスの作り方を伝授した。
これがカリーパンと共に今も続く、
中村屋看板商品誕生の物語である。

4ヶ月半に及ぶアトリエ滞在
の間に、ボースは相馬夫妻を
「父母」と呼んで慕った。
「義によってこういう命がけの
経験をいたしました間柄という
ものは、肉親の親子以上の親しみ
と敬慕の念を感じ、私は名残
惜しさに流れる涙を抑え抑えして、
窓にすがって離れてゆく自動車
のあとを見送りました。(黙移)」

と、黒光は自著の中でボースとの
別れの時を語っている。

 頭山は「天洋丸事件」による
対英外交の弱腰を非難し、日本
政府にボース残留を認めさせる
のだが、英国大使館は私立探偵
を雇って、ボース探索を続け
た。この為ボースは、水戸・
静岡から再び東京へと、転々と
居を移さざるを得なかった。

「ボース1人では心許ない。
昼夜身辺に寄り添う婦人が要る。
俊子さんなら、英語も出来るし
申し分ない」と、頭山が無茶を
言い出した。
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