歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第2章 第2章・国見八景
 柳邸の近所、麻布区三河台町
27に志賀直哉が住んでいた。
宗悦は学習院中等科の頃、6歳
年長の志賀と出会い親友となる。
さらに高等科で武者小路実篤や
里見とん弴らと出会い、「白樺」
創刊の同人になる。白樺派と
称される文学潮流は、小説の有島
武夫、長与善郎、戯曲の倉田百三、
詩の高村光太郎などが加わる。

 柳は1925(大正14)年に、
陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎の
3人で、木喰仏(もくじきぶつ)を
調査する旅に出た。木喰僧は多く
いるが、この場合、甲斐国(山梨
県)生まれの真言宗の僧・明満五行
(1718~1810)が彫った
木彫仏を指す。その旅の途上、
柳は「民衆の民と、工芸の芸で、
民芸という言葉はどうだろうか」
と、浜田と河井に言った。二人の
賛同を得たこの時から、民芸運動
が始まる。

 民芸とは、労働から生まれ、
日常で使われているからこそ美しい
「用の美」であり、名も無き民衆
の無心から生まれる美であるという
思想を核としている。そうした
思想を集約したのが、芹沢を突き
動かした「工芸の道」という論文
であったのだ。
 1926(大正15)年4月1日。
柳は「日本民芸美術館設立趣意書」
という小冊子を発刊する。京都市
吉田神楽岡3の柳宗悦、大和国
生駒郡安堵村の冨本憲吉、京都市
下京区五条坂の河井寛次郎、栃木県
益子町の浜田庄司が名を連ね、
事務として東京市麻布区一ノ橋の
青山二郎が加わっている。

 民芸運動の機関紙「工芸」は、
1931(昭和6)年1月に500部
で創刊され、やがて1000部に
増刷。100号までは月刊で、
120号まで続いた。
 同じ頃、浜田庄司の陶器に惚れ
こんだ男がいた。岡山県倉敷市に
大原美術館を設立した、倉敷紡績
(現クラレ)社長・大原孫三郎で
ある。彼は倉敷商工会議所で
開かれた浜田作陶展の民芸座談会
で、柳や浜田と会見し、民芸運動
に共鳴した。これを契機として、
倉敷で河井寛次郎展や、新進染色家・
芹沢銈介展などが次々に実現して
ゆくのである。


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