歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第2章 第2章・国見八景
 それから30年を経て、
地元の資料に目を通して
いた時の事。新坂通りの
浄土宗荘厳寺という寺に、
原田甲斐の屋敷の門が移築
されていると書かれてあっ
た。近所のことゆえ、その
寺を探す散歩に出た。
 大願寺横丁のゆるやかな
坂道を下り、歩く事10分
で目指す荘厳寺に着いた。
そして驚いた。寺の敷地内
に、私が通っていた幼稚園
があったからだ。私はそれ
とは知らずに、黒く古びた
原田邸の「逆さ門」を、
幼少時から幾度となく
くぐり抜けていたのである。
奇縁だった。

 そもそも伊達騒動は、
1660(万治3)年7月
18日、仙台藩3代藩主・
伊達綱宗が、「諸事不作法
かつ悪事遊興不行跡のかど
により」幕府から「逼塞
(ひっそく)」を命じられた
事に始まる。この時綱宗
21歳。藩祖・政宗に似た
剛毅な性格だったという。

 逼塞とはつまり、藩主を
引退して屋敷に引っ込んで
いろという事である。別に
綱宗が乱心したわけではない。
江戸・新吉原の遊郭で、多少
盛大に遊女たちと酒宴を
張っていたというだけの事で
ある。水戸光圀はじめ、若い
大名・旗本たちは、当然の
ように遊郭遊びをしていた。

 幕府は3代将軍・家光の
頃までに、肥後熊本の加藤家
をはじめ、蒲生家、京極家
など、外様26家、一門・
譜代17家を取り潰してきた。
藩主や家臣のちょっとした
不始末が、お家取り潰しの
口実に用いられてきた。
 綱宗の遊郭通いも、重臣
たちは反対だった。出来れば
幕府に知られたくない。だが
密偵を使って綱宗の一切の
言行を報告させ、話にある事
無い事尾ひれをつけて幕府に
報告した男がいる。伊達政宗
の十男・伊達兵部少輔
(ひょうぶしょうゆう)宗勝
である。つまり綱宗は、彼に
よって失脚させられたのである。

 伊達兵部は、幕府の老中首座・
酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清と、
伊達62万石分割の密約を結んで
いた。兵部の子・宗興(むね
おき)に30万石。綱宗の妹の夫・
立花飛騨守の子・直茂に15万石。
片倉小十郎を直参大名に取り
立てて3万石。残りは綱宗の兄・
田村右京むねよし宗良にという、
具体的な内容だった。綱宗は
品川屋敷に隠居し、2歳の亀千代
が伊達62万石を相続した。
伊達兵部と田村右京が、その
後見人となった。
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