歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第2章 第2章・国見八景
 その後常長一行は、フランス
のサン・トロペを経てイタリア
へ向い、1615(元和元)年
11月3日、ヴァチカン宮殿
でローマ法王パウロ五世に
謁見した。遥か東方よりの
使者に対して、彼らには
ローマ市民権証書が贈られた。

 この頃の日本国内は、大阪
冬・夏の陣で豊臣家が滅び、
キリシタン禁教令による迫害
が、全国規模に拡大しつつ
あった。京・大阪の宣教師や
信徒は、迫害を逃れて奥州に
集まり、政宗も寛大に受け
入れていた。
 1616(元和2)年、徳川
家康75歳で死去。翌元和3年、
常長一行はメキシコで、政宗の
使者・横井将監と会い、帰国
命令をうけた。横井はメキシコ
で洗礼をうけ、「ドン・アロ
ンソ・ハーシャルド」となる。
 常長や横井は、フィリピン
のマニラに2年間とどまり、
1618(元和4)年8月、
ひそかに帰国した。政宗は
5年におよぶ常長の労苦を
労ったが、幕府のキリシタン
禁教令の圧力には逆らえず、
元和6年に至って伊達領内
すべての者に改宗を命じる
事になるのである。

 1622(元和8)年7月1日。
支倉常長は柴田郡支倉村(宮城県
川崎町)で病没。52歳だった。
仙台領のキリシタン信徒は、
支倉家を中心にして広まって
ゆくのだが、1640(寛永
17)年3月1日、改宗に
応じない常長の子・常頼が切腹
して果てた。42歳だった。
弟・常道は、キリシタンのまま
他国へ逃亡した。
 常頼の家僕・与五右衛門と
妻・きり、常頼の養女・しいな、
料理人・大窪太郎兵衛と妻・せつ、
召使い惣四郎、常長と共にローマ
に行った家僕・勘右衛門ら、
改宗に応じない支倉家の人々は、
「釣殺しの刑」と呼ばれる処刑法
で死んでいった。
 光明寺墓地の、木立に囲まれた
穏やかなたたずまいの支倉常長
の墓所を訪れると、時代の思惑
に翻弄され、信仰に殉じた人々
の光と影を想い、哀切の情に
包まれるのである。
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