歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第2章 第2章・国見八景
 国分町から仙台城(青葉城)
大手門へ向かう大橋を渡って、
現在の県立美術館あたりの道を
大崎八幡神社方向へ。神社大
鳥居から西へ200m程行くと、
荒巻南山を登る「うなぎ坂」と
いう急坂がある。この細道を
えっちらおっちら、息を切らし
汗を流しながら登ってゆくと、
雑木林に囲まれた「南山閣」
に着く。

 現在の住所だと、国見3丁目
である。
「閣は山上にあり。川を隔てて
青葉山と相対す。青葉山は即ち
城址にして、広瀬川は天然の
溝渠(こうきょ)なり。東に眺望
豁然と開きて、仙台の人家樹間
に隠現し、太平洋の碧色空際に
模糊たり」と、子規は漢詩の
如き美文で述べている。

 そもそも南山閣とは、仙台
藩士・石田家の別荘だった。
明治になり、帰農した石田家
に代わって、上山五郎が入居
する。彼は映画俳優・上山
草人の父であり、宮城医学校
教授。静山と号し、漢詩を
よくした。
 上山と交遊し、南山閣を
訪れた者の中に落合直文・
鮎貝槐園兄弟がいる。彼らは
1893(明治26)年に、
与謝野鉄幹らとともに
「浅香社」をおこし、新短歌
運動をおこした。子規とは、
この運動を通して知り合った
のである。

 子規と槐園は、南山閣で
詩を語り、歌を語り合った。

「涼しさの はてより出たり 
 海の月」

太平洋の水平線から昇る、
丸く大きな月が目に浮かぶ。
 子規は仙台や塩釜神社、松島
に遊び、8月5日作並から山形
方面へと向かった。この後の
病床を思うと、何とも切ない
程すがすがしい旅だった。

「秋風や 旅の浮世の 
 果知らず」

せめてあと30年、芭蕉同様
の旅をしたならば、子規は
どんな句を詠んだだろうかと
思わずにはいられない。

 上山は「荒月の月」の作詞者
として知られる、地元の詩人・
土井晩翠とも交遊があった。
土井もまた南山閣に遊び、処女
詩集「天地有情」などの構想
を練ったという。荒城の月は、
子規が南山閣を訪れた5年後の、
1898(明治31)年、晩翠
28歳時の作である。

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