歴史エッセイ集「みちのく福袋」
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公開開始日:2011/02/26
最終更新日:2011/02/26 16:33

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歴史エッセイ集「みちのく福袋」 第2章 第2章・国見八景
と、宇宙を詠むあたり

「荒海や 佐渡に横たふ 
 天の河」という芭蕉の
句を思い起こさせる。

 また芭蕉は、「西行の
和歌、宗祇の連歌、雪舟
の絵、利休の茶、其の貫道
するものは一なり」と、
笈の小文で語っている。
表現様式は違っていても、
精神の在り様はひとつだと。
これを虚子は

「芭蕉忌や 遠く宗祇に
 遡る」と、さらに圧縮
して詠っている。両者五分
と五分の力量と観た。

 虚子は1891(明治24)
年に、碧梧桐を介して同郷の
先輩・正岡子規と出会う。
1867(慶応3)年9月
生まれの子規は、この時
24歳。虚子は7歳年下の
17歳だった。

 司馬遼太郎はこの正岡子規
に、陸軍騎兵隊の秋山好古、
海軍参謀の秋山真之(さねゆき)
という、四国・松山が生んだ
三人の人物を軸にして、小説
「坂の上の雲」を書いた。彼
は子規に対して、並々ならぬ
愛着を抱いていたようだ。
 だが私は子規が苦手だった。
脊椎カリエスという病に冒され、
病床7年あまり。35歳の若さ
で死去するという、人生の
概略程度は知っていた。何とも
痛々しく、悩ましい人生である。
それゆえとっつきにくかった。

「柿食えば 鐘がなるなり 
 法隆寺」という、あまりにも
有名な句の作者が子規である
ことも、俳句の弟子に夏目漱石
がいることも知らなかったので
ある。
 その子規が、1893(明治
26)年7月に、仙台を訪れて
いる。東大を中退し、日本新聞社
に入社した頃である。

「松島の風、象潟(きさかた)の
雨に心ひかれ」とあるから、
やはり俳聖・芭蕉を意識した旅
だったのだろう。
 芭蕉は「おくのほそ道」冒頭
で、「松島の月まず心にかかりて」
と旅の動機に触れ、象潟(秋田県
由利郡象潟町)に舟を浮かべて、
「松島は笑うが如く、象潟は
うらむが如し」と対比させている。
こうした美しい形容を、実際肌身
で体感してみたいと思うのも無理
はないだろう。

「みちのくの 涼みに行くや 
 下駄はいて」と、子規は開通
間もない東北本線の汽車に乗る
こと12時間。仙台に到着し、
国分町大泉旅館に宿を求めた。
翌日、友人・鮎貝槐園(かいえん)
が住む「南山閣」を訪れた。

「はてしらずの記/7月31日。
旧城址の麓より間道を過ぎ、
広瀬川を渡り槐園子を南山閣に
訪(おとな)ふ」
12
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