第2章では、私がゲーム少女であったことをお話ししましたが、
この章では、私自身が、音楽とバレエに触れていたことをお話ししてまいります。
4歳の時に、ピアノを習い始めました。
右も左もわからない女の子が、スパルタの先生に習うことになります。
宿題をきっちり与えられ、次回のレッスンまでに達成できないと、怒られてました(^^;)
怖い先生でしたが、今振り返れば、クラシックの基礎をたたきこんでくださったので、大変に感謝しております。
ピアノ教室では、何人か、先生が変わったのですが、小学校6年生の時点で、
ハイレベルな楽曲を勉強していました。
(もちろん、ファミコンは、さぼらずにやってましたよ・笑)
当時の先生から、意外なご提案がありました
「音大のピアノ科の受験の準備を始めるなら、今から、音大の教授先生を紹介するわよ」
と。
※音大受験は、通常の大学受験とは異なり、大変特殊で、入学するまでのお稽古料も、1,000万コースといわれてます。
私は、このように返しました。
「音大に入ると確か、自宅にはグランドピアノを入れないとならないんですよね?!
両親にも許可が必要ですし。
卒業後って、どんな道が待ってるんですか?
ピアニスト以外には、無い感じですか?
音大に入るまでも、入ってからも、投資をするわけですが、それって、将来的には回収できるんですか?」
先生は、即答をしてくださいませんでした。
「わかりました。一応、親には、音大受験のご提案があったことは伝えます。
ですが、私の気持ちは前向きじゃないですね。。。」
自分でいうのもなんですが、なかなか、賢い子供だったと思います(笑)
先生からのお話しを親に伝えると、
「あなたが(音大に)行きたいなら、そうしなさい」
とあり、行きたくない話しをして、終話(笑)
ここで、音楽少女に、新たな試練が襲います。
学校の健康診断で【側弯症】が発覚するのでした。
側弯症というのは、背骨が大きく湾曲するもので、治療が必要なんです。
病院の先生から、カクカクシカジカご説明があり、12歳だった私には、衝撃が大きいものでした。
「私。。。これから、みんなと同じように、普通に生きていけるのかな。。。」