アパサと一応の話をすませたトゥパク・アマルは、そのまま商隊を率いてペルー副王領の首府リマに向かった。
反乱準備を進めながらも、彼の中には、まだ判然とせぬ思いが、かねてより存在していた。
それは、この国の暴政は、真にスペイン国王の意志なのか、という根本的な疑問であった。
なにしろ、この植民地はスペイン本国から遠く隔絶されており、また、複雑な統治機構によって国王の意志は何段階にも渡る役人たちを介して、やっと民衆のもとに下りてくる仕組みになっている。
仮に、スペイン国王が、あるいはこの植民地の副王が、どれほど崇高な理念に基づく統治を行おうとしていたとしても、末端の代官などの強欲なスペイン役人たちが法に暗い民衆を騙し、国王らの本来の大御心の実現を阻んでいるのかもしれぬ、という考えはまだ完全に否定することはできなかった。
真の敵は、末端の代官レベルなのか、あるいは、スペイン国王や副王レベルまで達するのか――その見極めは、トゥパク・アマルにとって今後の行動を決める上で非常に重要なことであった。
そして、もう一つ、彼の中で考察を要する問題があった。
それは、宗教の問題であった。
アンデス地帯ではもともと創造主ビラコチャ神への信仰が行われていたが、スペイン侵略以降、キリスト教が強制的に布教され、この200年の間にインカの民の間にもキリスト教信仰はかなり浸透していた。
スペイン人に憎悪を抱く民衆たちの中にも、キリスト教は受け入れ、今や熱心な信者である者が少なくなかった。
もちろん、キリスト教信仰と共に、心の奥深くに本来のビラコチャ信仰を秘めている場合は多かったが、それでも、キリスト教の存在は今や絶大なものだった。
侵略者のもたらした宗教が、時代の変遷によって、いつしかその支配下で苦しむ人々の精神的支えになっているというのも皮肉な話ではあったが、その事実をトゥパク・アマルは冷静に見極めていた。
今や、民衆の心の支柱ともなっているキリスト教までをも否定することは、民衆から精神的支柱を奪うことにもなりかねず、心を一つに合わせ、強い意志をもって侵略者に立ち向かわねばならぬ事態において、決して得策ではないはずだと考えていたのである。