コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~
第5章 胎動
トゥパク・アマルの父親のような年齢のその男は重側近の一人であるが、もし彼の父親が生きていれば――実際には、彼の両親は幼き日に他界していたが――このような人物であったかもしれぬと思わせるような、トゥパク・アマルに似た雰囲気をもっていた。
実際、ベルムデスは徳の深い智慧者で、トゥパク・アマルにとっては、父親のごとく、よき助言者でもあった。
そのベルムデスが、必死の面持ちで繰り返す。
「なりませぬぞ、決して!!
ブラス様やサンセリテス殿の時と同じことが起こるだけです。
この上、あなた様までいなくなられたら、この国の民はどうなりましょうぞ」
その様子から、ディエゴは、トゥパク・アマルが自らのスペイン行きを言い出したのだろう、とすぐさま察した。
「トゥパク・アマル様……!
絶対に、なりませぬ!!」
鬼気迫るベルムデスの形相は、ほとんど睨みつけんばかりの気迫を放っている。
やがて、トゥパク・アマルは目を閉じたまま、低い声で答えた。
「ベルムデス殿、そして、皆の者よ、少し一人で考えさせてほしい。
また近いうちに会合を開こう」
そして、うつむき加減のままスッと立ち上がり、部屋の出口へと向かう。
皆が、トゥパク・アマルの後ろ姿を呆然と見やった。
そのような背後の気配を察してか、戸口でトゥパク・アマルは足を止め、静かに振り向いた。
うつむき加減だったその顔をゆっくりと上げる。
その目は意外なほどに静寂で、包み込むような眼差しだった。
「案ずるな。
必ず、道はある」
そう言って、微かに笑う。
そして、部屋を後にした。
ディエゴは、自らも深く心に傷を受けていたが、しかしながら、トゥパク・アマルのことがいっそう強く案じられた。
急ぎ後を追うが、既にトゥパク・アマルは馬にまたがり、屋敷から門の外に走り出ていったところだった。
ディエゴはその後ろ姿を見送るしかなかった。
空はいっそう雲が厚くなり、今にも雨が落ちてきそうだ。
屋敷を出たトゥパク・アマルは、あてもなく、ただひたすら馬を駆った。
いつしか空からは大粒の雨が落ちてきた。
雨が、トゥパク・アマルの全身を激しく打ちはじめる。
54