MaraSon Part1
第1章 1
正月三が日が明けて、僕は再び日課の早朝ジョギングを開始した。もっとも、二日は仕事だった。僕は入院病棟のあるわりと大きな総合病院の勤務医だ。大晦日も三が日も病院は動いている。もちろん交代制だが、医師も看護士も調理や清掃の人々も、ずっと仕事を続けている。僕は中途半端な二日に仕事が入ってしまったせいで、旅行もできなければ深酒もできなかった。まあこんな年もあるさ、と思いながら、特に気持ちを切り替える余裕もなく、新しい年を迎えたわけだ。
医者はみんなそうだが、中でも小児科医の仕事はけっこうタフな部類だろうと思う。勤務医だと給料に差はつかないが、個人のクリニックだと、たぶんワリが悪いだろう。患者本人は症状を正確に伝えられない場合が多く、親も子どもの症状が悪ければ悪いほど冷静さを欠いている。診察には丁寧さが求められ、気は遣うし、時間がかかる。それで診療報酬が比例して増えるわけではない。また小児科の薬は、やたら多くは出せない。
医者をやって儲けたいなら保険外診療を扱う矯正歯科か美容整形医だろう。もちろん開業自営だ。そっちの医者は増えるが、小児科医は足りない。医者を目指す人の多くが金儲け第一だなんて思いたくはないが、現実、なり手の数だけみればそういう状況だ。僕だって小児科で勤務医をやっていて、そりゃ、平均的なサラリーマンよりは給料は高いだろうけど、労働のきつさに見合っているとは到底思えない。スタートラインの二年ほどは、燃え尽きてしまいそうに思えた。
幼い子は、特に乳児は、とても脆弱でたかが発熱、と思って手遅れを招けば、後に大きな後遺障害を残したり、時にはあっけなく死んでしまう。ステルベン(患者の死)が傷つけるのは遺族だけではない。医者だって相当落ち込む。
それでも今は何とかやれそうな気がしている。いいこともある。入院や長期の療養を経てある程度長い時間接した患者や家族とは、信頼関係ができ、尊敬や感謝もされる。
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NIGHT
LOUNGE5060