舞う蝶の果てや夢見る ―義経暗殺―
第4章 奥州下り 監視する者とされる者
羅刹を叱責した後、離れると後ろから耳元を掠めるようにして矢を放ってきた。夜叉丸は動じず後ろを向いたままわずかに体を避けると鋭い矢が狛犬の口に突き刺さった。手が滑ったと笑う羅刹の冷ややかな目と合った。鬼姫衆の秩序は力で保たれている。夜叉丸は踵を返し、二歳年上の羅刹が土下座して謝るまでそのことを拳で教えてやった。ちなみに金剛はひとつ年下である。
そして、金剛も羅刹も名付け癖のある鬼姫がつけた仇名だ。
――俺もいつしか夜叉丸になってしまった。もう、松寿丸には戻らぬ
親から貰った名は、心の奥底に封じ込めている。しかし、あの奥出雲の山中と似た底冷えのする雪夜は心が乱れ、錯乱したのかと畏怖するほど太刀を振り回している自分に気づき呆然としたことも一度や二度ではない。太刀で何度も記憶を断ち斬って来た。
我が儘な姫の子守りを宜しく頼むと夜叉丸は、些かの同情を込めて京の方を見やった。
夜叉丸は白河の関で一夜の宿を借りた。今後、ここが京への連絡の中継点になるのだ。次の朝、平泉に向かって馬を駆けた。勅旨の連中よりも先に着くであろう。
初めて踏み入れた地であったが、一町ごとに道標が立っているので走りやすい。金色の阿弥陀像が一町ごとに道標として福島県の白河の関から青森県の外浜まで立っているのだ。奥州藤原氏の権勢はこれほどかと夜叉丸は、その財力に怖れを感じた。行く先々の寺院がまるで金で造られているように豪奢であった。非常な富である。この財力が義経の後ろ楯になると厄介なことになると思った。
――源の九郎義経、平泉へ行く途中たったひとりで元服したそうじゃな
夜叉丸は、たった一人でというところに義経の気性を見た気がした。
元服、つまりこの加冠という儀式は人生の大事な節目であって、系図にもこの加冠の年と冠の親の名と加冠の場所は必ず記載される。成人としての冠を被る儀式であることから、因の親にはその子の将来を見守るため、親より上位の者がなるのが普通である。少なくとも数人の介添え役がいてはじめて成立する儀式なのだ。それを義経は一人でした。行動が因習に囚われぬ性格が、彼の最大の長所であり、それは諸刃の剣のごとく短所にもなり得る。
「義経のごとく俺も一人で元服するか。しかし、そのような形に拘るなど、くだらぬ。囚われぬということでは俺の勝ちだな」
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