舞う蝶の果てや夢見る ―義経暗殺―
第8章 流鏑馬の勝負
また、一年が過ぎ、治承元年(一一七七年)が明けた。夜叉丸はこの年十七になる。秀衡のおかげで毎日が充実していた。また、騎馬戦が得意な坂東武者にひけを取らぬくらい、馬の扱いも格段に上手くなった。ただ義経を旗印にしようと下ってくる源氏の者を一刀の下に討ち取るたび、どこで聞きつけたのか秀衡は悲しい顔をして見せる。
「義経はここより出さぬゆえ、無益な殺生をしてはならぬ。夜叉丸は、生来優しい子じゃ。そんなことを続けるならば平氏をやめ、当家に仕えよ。そして九郎と力を合わせこの陸奥の国を盛り立てるがよい。忠度殿には書状を書くゆえ、そうせよ」
一徹な秀衡からそう言われる度に夜叉丸は閉口した。
しかし、このところ都の不穏な噂がたびたび聞こえてくるようになっていた。院と平家の関係が更に険悪になっている。秀衡の京に駐在させている草から毎日知らせが届いた。
そして夜叉丸の許へも比叡山攻撃が避けられぬため急ぎ帰国せよと忠度からの命令書が届いた。総力戦になるという。
秀衡に暇乞いというのも変なものだが、挨拶に出向くと、心寂しさを隠さぬ秀衡から、餞別にと駿馬松風を与えられた。
更に一通の書状を渡された。
「これを授ける。我が草の者達が調べ上げた平家打倒の企てじゃ。これで比叡山攻撃をやめさせることができるやもしれぬ。清盛公の役に立つはずじゃ。天台座主明雲殿と清盛公は互いに尊敬しあっている仲じゃと聞く。清盛公に比叡山を攻めさせてはならぬ。院は謀略で平氏を山門と戦わせることによって力をそごうとしている。院の罠に落ちてはならぬぞ」
平氏一門の権勢が強くなるに従って、官途を閉ざされた貴族層との政治的な対立が激化してきた。左大将藤原師長が辞職した後の空席に、院の近臣の藤原成親を差し置き、左大将には平重盛、右大将には平宗盛が命じられた。平清盛の力である。それが発端となり藤原成親、僧西光が中心となって京都東山鹿ヶ谷の山荘で平氏打倒を企てた陰謀があると秀衡の草が調べ上げていた。
書状の中には平氏討滅の密議の詳細と加わった者の名前がしたためてあった。全員が後白河法皇の取り巻きである。
夜叉丸が書状を読み終えて顔を上げると、秀衡も黙って頷いてくれた。
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