今昔玉手箱2/聖書文明編
第2章 ダークマインドの章(人の心は複雑怪奇)
「宗教は人を救う為にあるのだ。
オウムは宗教ではない」という、
牧歌的な意見がある。だが宗教史は、
盲信や狂信による血塗られた悲劇に
満ちている。「聖なる軍隊」と言わ
れた「十字軍」は、れっきとした
キリスト教徒たちだった。教皇・
ウルバヌス二世は、聖地エルサレム
回復の聖戦を呼びかけた。この
「聖なる軍隊」とやらを、具体的に
見てみよう。
1095年、隠者ピエールという、
麻原のような薄汚い、蚤だらけの男
に率いられた約2万人の騎士と農民
たちは、第一回十字軍としてフランス
から出兵。途中ハンガリアの住民
約4000人を虐殺した。異教徒は
全て敵だと教えられていたからだ。
少年を串刺しにしたり、赤ん坊を
丸焼きにするという、残虐な殺害方法
だった。女性は強姦によって改宗を
迫られ、略奪は平然と行われた。
これがつい昨日まで、素朴で善良な
農民だったはずの人間の行いである。
人々は残酷な行為に対するコメント
として、「人間のする事ではない」
と言う。だが生存に必要のない殺害
を繰り返し行うのは、全ての動物の
中で人間だけである。しかも虐殺
した側の人間たちにとって、それ
らの行為は「快楽」だったに違い
ない。
農民たちは、民家に火を放って興奮
した。あわてふためき、逃げ惑う村人
たちを見て、強者あるいは勝者の喜び
に酔った。誰かが逃げ遅れた弱者、
たぶん女性か老人の首をはねた。
天高く噴水のように噴き出す血を見て、
彼らの興奮はピークに達した。面白い、
もっとやろう。歯止めなき本能の流出
は、性的興奮を高め、解放する。剣で
肉体を突き刺す行為は、本来の性交の
代償行為でもあるからだ。串刺しに
された女性を見て、エクスタシーを
感じたサディストもいたはずである。
しかも彼らは虐殺に対し、罪悪感を
感じるどころか、キリスト教徒の義務
を果たしたというすがすがしい気持ち
だったという。それが彼らにとっての
「信仰」だった。その彼らも、ハン
ガリア軍トルコ軍に包囲されて全滅
する。包囲された時、彼らも神に
祈っただろう。
「どうか私を救ってください」と。
81