イルバシット 戦士と花嫁 約束の大地へ
第1章 イルバシット
「大丈夫か、バルザン。結局僕は何も出来なかった」
ネストは、床に座り込んだ俺を、椅子に座らせようと、俺の腕をつかみ、俺の脇に潜り込んだ。
俺は、何が見えるのか怖くて、目をかたく閉じていた。
しかし、目の前に浮かんで来たのは、見知らぬ老人だった。
長く伸びた白髪は、立派で、彼の地位の高さを表していた。
しかし、その体には、無数の傷跡がある。
会ったことのない人物を、ネストだと断言は出来ない。
でも、彼に支えられながら見る世界は、やはり彼のものだと判断するべきだろう。
その人物は、王冠を冠した美しい女性を見つめ、満足そうに笑っている。
その目は慈愛に満ちて、暖かい。
俺は安心した。
「ネスト、お前、髪を伸ばしたいと思った事があるか?」
「戦士として、一人前になったら、伸ばすつもりだ。でも、何も言わない約束だよ」
「幸い、俺は未熟らしくて、何か見えても、良く分からないんだ。それに、お前の事は何にも見えないから、安心しろ」
俺は嘘を言ったんだろうか?
あの老人は、多分ネストだ。
しかし俺は、幸せそうな老人の顔を見て、黙っておくことにした。
親友の未来が明るいと、そう判断したからだ。
ネストに支えられながら、俺の脳みそは、猛烈に休みたがった。
抗えない程の睡魔が襲って来る。
クス家の人達が、口々にねぎらってくれていたが、俺の脳みそはそれを無視して、眠りを求めた。
「ネスト、もう起きていられない。少し眠らせてくれ。もしも、俺がねむりつづけたなら、悪いが家まで連れ帰って欲しい」
バルザンは、そう言うと、深い眠りに落ちていった。
彼は心配したが、その眠りは、疲れによるものらしかった。
うなされていたし、寝返りも打った。
何より、見慣れた寝顔だったのだ。
「ありがとう!お祖母様の胸がこんなに動いているのを、久しぶりに見たよ!バルザンは、ゆっくり眠らせてあげて。もちろん馬車を上げるよ。御主もつけてあげる。遅れはすぐに取り戻せるでしょ?」
トルカザだった。
「イルバシットに帰ったら、すぐマーキス様に報告するよ。どんなにお喜びになるだろうな」
「ネスト、君の事忘れない」
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