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社会主義・共産主義とリベラル・デモクラシー - ゴルバチョフと徳川慶喜
2021-03-29 18:06:00
テーマ: 政治・経済
社会主義・共産主義とリベラル・デモクラシー - ゴルバチョフと徳川慶喜_c0315619_15345168.pngフクヤマの所論と主張によれば、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)が人類史において最終的に勝利し、その政治体制が永続する地平となり、「大きな物語」は終わり、歴史は終焉したということになる。佐々木毅は『歴史の終わり』の解説の中でその意義を称賛し、「思想や意識の世界において決定的な決着がついた」(上巻 P.274)と言った。20世紀の歴史は、西欧型自由民主主義が、ファシズムや共産主義などのイデオロギーの挑戦を受けた時代だったが、そのイデオオロギーの戦いに決着がつき、リベラル・デモクラシーの勝利が確定し普遍化したのだと結論づけている。こうした認識は、現在の社会科学一般のみならず世間の政治議論の定説となっていて、例えば長谷部恭男が憲法学で立憲主義の原理を説く際も、この思想が前提として立論されている。一方に勝利した正義の思想であるリベラル・デモクラシーを置き、他方に敗北した悪の思想である共産主義を置き、その二項対立の図式でイデオロギーと政治体制の根本を整理し、現代社会の基本的な価値観を教説し理解するという思考と論理は、今日の常識であり、青少年が学校教育で身につける信念である。

日本を権威主義の国の範疇に入れていたF.フクヤマの『歴史の終わり』
2021-03-25 16:53:00
テーマ: 未設定
日本を権威主義の国の範疇に入れていたF.フクヤマの『歴史の終わり』_c0315619_14163627.png権威主義とは、元来は政治支配における「被治者の思考態様」の問題だった。その概念がいつから現在のように政治体制の類型の意味に変容し、非民主主義の体制の総称に変わったのか、アジア経済研究所の記事に簡単な説明が載っていて、近代政治体制を民主主義・権威主義・全体主義の3類型に整理したJ.リンスの所論 - 『全体主義体制と権威主義体制』 - が紹介されている。曰く、

民主主義と全体主義の間の中間形態が権威主義であり、その特徴は「限定された多元主義」です。より具体的には、支配的な特定組織(政党、軍など)とは異なる政治主体の存在を許容する一方、結社や政治活動に強い制限を課す政治体制を指します。現在世界に存在する非民主主義体制の大部分は、権威主義体制に分類することができます。

とあり、ここからは権威主義の古典的概念であるところの尾形典男的な原義、すなわち「被治者の思考態様の問題)という要素が完全に消え、概念が改鋳されていることが分かる。権威主義は体制分類の用語に化けた。

権威主義の概念について - 原義の加工改造と親米派によるラベリング言説化
2021-03-23 16:15:00
テーマ: 政治・経済
権威主義の概念について - 原義の加工改造と親米派によるラベリング言説化_c0315619_13363399.png権威主義の概念について確認し検討してゆきたい。このところの政治空間の議論では、民主主義と権威主義の二項対立で世界を説明する思考が確立し、その観念が広く常識化して定着している。その構図を元に中国叩きに血道を上げるという政治的な空気が、右翼やマスコミだけでなく左翼リベラルでも一般化している。民主主義=米国=正義、権威主義=中国=悪という図式が公理として受け入れられ、大衆に確信され、あらゆる政治論評や政策判断の基礎になっている。そうした思想状況になっている。嘗ての認識と理解では、民主主義の対立概念は全体主義であり、民主政治の対義語は独裁政治だった。だが、そうした政治上の通念に変容が起こり、権威主義という語が悪玉範疇・敵性範疇として強力に浮上し、自分たちが所属する民主主義陣営と対立する政治属性として強調され意識されている。権威主義の言葉に私は違和感があり、米欧日を正当化する工作言説ではないかという不信感があった。違和感の正体を明らかにする作業を試みたい。最初に、ネットの情報ではこんな定義づけがされている。
2プラス2共同声明の対中威嚇 – 奉祝するマスコミ、黙認する9条左翼リベラル
2021-03-17 22:00:00
テーマ: 政治・経済
2プラス2共同声明の対中威嚇 – 奉祝するマスコミ、黙認する9条左翼リベラル_c0315619_16124859.png16日、日米2プラス2の会合が都内で行われ、日米が中国を名指し批判する共同声明が発表された。共同声明には、米国が「核の傘」を含む中国抑止能力を提供することを表明し、日本が「日米同盟を更に強化するために能力を向上させることを決意した」と明記されている。朝日の記事の中で、外務省幹部が「歴史的な日になった」と言っている。16日夜のテレビ報道、特にNHKのニュースは、この2プラス2の共同声明を前面に出して歓迎し、国民に意義を強調して正当性を刷り込む内容一色だった。朝日の記事も、「同盟国と連携して中国に対抗する米国のアジア外交が動き出した」「米国の積極的な関与を促してきた日本は歓迎する」と書いている。「日本政府は」ではなく「日本は」と書き、歓迎が日本全体の総意であるかのように報じている。昨夜はNHKのニュースを見ながら、真珠湾攻撃を告げる一報をラジオで聞いたときの加藤周一の感想を思い出した。何度もブログで書いてきたことで、新鮮味がなく恐縮だが、否応なしにこの気分に追い立てられる。 

検証と総括がなかった原発事故10年 –SDGs脱炭素を隠れ蓑にした原発復活
2021-03-15 18:03:00
テーマ: 政治・経済
検証と総括がなかった原発事故10年 –SDGs脱炭素を隠れ蓑にした原発復活_c0315619_15164458.png震災から10年の節目の年にもかかわらず、原発に関する報道があまりに少なく拍子抜けさせられた。今回、印象に残ったテレビ報道は、(1)事故直後の東電の誤対応の新事実を簡単に伝えた7日のサンデーモーニングと、(2)廃炉について特集した14日のNスペの二つだけだ。通常、震災のメモリアルウィークの報道では、津波災害(三陸)よりも原発事故(福島)の方に比重を置いた特集が多かった。それは、震災が起きた当初からそうで、視聴者一般の関心が原発問題の方が高かったからである。首都圏などに住む多数にとって、より身近で切実な問題だったからだ。計画停電もあった。金町浄水場の放射能検出もあった。節電に努めた。デモの政治もあった。だから、東日本大震災といえば、まずは原発問題に注目するのがマスコミのパターンだったと言える。だが、震災10年の今年の報道では、原発事故よりも津波災害の方が前面に配置されている。原発への関心が低くなり、原発報道がすっかり縮小した感が強い。現在の原発に関する報道のほとんどは、政府広報の垂れ流し - 汚染水の海への放出を地均しするための世論工作 - に過ぎない。

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