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補遺 - マルクスの「生産関係」と「交通形態」、平田清明の「交通」論
2017-11-30 14:48:00
テーマ: 政治・経済
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c0315619_12565865.jpgマルクスの生産関係の概念は、所有と階級の契機を含んだタテの社会関係の意味を持つ。吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』で論じている「生産関係」は、平面的なヨコの繋がりで、商品の中に凝縮された社会的分業の総体を意味している。が、丸山真男は「回想」での解説において、これぞ「資本論入門」の極意であり、見事な説明の表現であると絶賛していて、「生産関係」の概念の異同については特に触れていない。それはなぜだろうと考え、前回のような仮説を立ててみた。その仮説にたどりつく前に想起したことは、もともとマルクスの生産関係の概念が、あの史的唯物論の公式 - 『経済学批判』の序言に示された「導きの糸」 - として完成する前には動揺と変遷を遂げており、「交通形態」という言葉が使われた時期もあったという理論史の事実だった。初期の『ドイツ・イデオロギー』では、「交通形態」という語が頻出し、そして同時に「所有形態」という語も登場する。国民文庫版の訳者である真下信一が、序文で次のように解説している。「マルクスとエンゲルスによって仕上げられた理論の若干の基礎概念をあらわすために、『ドイツ・イデオロギー』のなかでつかわれた用語は、その後彼ら自身によって、それらの新しい概念の内容をもっと精確にあらわす別の用語に取り換えられた」(P.11)。
『君たちはどう生きるか』における「生産関係」の問題について
2017-11-28 14:09:00
テーマ: 政治・経済
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c0315619_12465271.jpg『君たちはどう生きるか』の中の「生産関係」について、一点、指摘をしておきたい。この言葉は、作品全体の中できわめて重要なキーワードで、主人公が「コペル君」というニックネームを持った理由と密接に関係している。その物語の経緯については、あらためて紹介する必要もないだろう。コペル君が発見して名づけた「人間分子の関係 編み目の法則」の直観と報告が、おじさんによって概念的に整理され、それが経済学の「生産関係」であり、社会科学で一般的に使われている術語であることが説明される。丸山真男は付録の「回想」でこう書いている。「コペル君が小さい頭で、いかにも幼いコペル君にふさわしい推論を積みかさねて『法則』に到達する過程が、すこしも『大人』の立場からの投影という印象を与えず、きわめて自然に描かれているのにも感心しますが、おじさんがこの手紙を承けて、そこから一方ではコペル君をはげましつつ、他方で『人間分子の法則』の足りないところを補いながら、それを『生産関係』の説明まで持ってゆくところに読みすすんで私は思わず唸りました。これはまさしく『資本論入門』ではないか。(略)資本論の入門書は、どんなによくできていても、資本論の入門書であるかぎりにおいてどうしても資本論の構成をいわば不動の前提として、それをできるだけ平明な表現に書き直すことに落ち着きます」(P.312-313)。
『君たちはどう生きるか』のブーム - 若者にはこう読んでもらいたい
2017-11-25 14:52:00
テーマ: 政治・経済
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c0315619_14332614.jpg吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』がマンガ化され、ベストセラーになっている。amazonの総合ランキングで1位になっていて、岩波文庫のオリジナルの方も文庫のランキングで上位に入っている。先日、宮崎駿が新しいアニメの題名を「君たちはどう生きるか」にすると発表したことも、このブームに拍車をかける一因となった。若者の間での宮崎駿の影響力は圧倒的だ。ただ、出版の世界で大きなトレンドになっているほどには、マスコミがこの状況を話題にしていない。テレビの報道番組で本が紹介される機会に接しない。やや奇妙な感じがするし、安倍晋三と菅義偉が統括支配する世界だから不思議ではないなと思い直したりもする。この古典は、日本の戦後の教育の根幹に位置する作品だ。戦後民主主義を担う精神のカーネルを養成するべく、中学生になる子どもに読ませてきた教育書で、倫理を学ぶ物語である。われわれの世代において、子どもの頃、この本は空気のようなもので、周囲には「おじさん」のような教師が少なからずいて、われわれにコペル君のような精神的成長を促していた。私もその教育過程の通過儀礼を受けた一人だけれど、当時、この本に特に大きく影響を受けたという実感はない。なぜなら、周囲の環境が、学校も、マスコミも、悉く「君たちはどう生きるか」的であり、吉野源三郎の思想を基調とし骨格とした倫理的空間だったから。
山口二郎による護憲派の罵倒 - 不当に貶められてきた護憲の立場
2017-11-22 17:57:00
テーマ: 政治・経済
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c0315619_16160794.jpg前回、山口二郎が2004年に日本政治学会で発表した基調報告の一部を紹介した。その中で、山口二郎は社民党(社会党)の護憲の主張を罵倒し、共産党については存在の価値のない政党だと斬り捨てていることが確認された。山口二郎のこの20年間の言論を見ると、護憲の立場に対する悪罵と侮辱に徹し、憲法9条を守れと唱えてきた社会党や戦後民主主義に対する軽蔑と排斥で一貫していることが分かる。一つ一つ検証して証拠を挙げよう。手元に2004年刊の岩波新書『戦後政治の崩壊』がある。その冒頭、こう書いている。「2003年秋の総選挙では(略)土井たか子が敗北の責任をとって社民党党首を退いた。(略)土井の挫折は、憲法第九条をめぐる帰依と怨念の両面の風化を意味している。『頑固に護憲』を貫いた土井は、九条に対する信仰を体現した政治家であった。戦後憲法ができて間もない五十年代、左派社会党の指導者が『青年よ、銃を取るな』と叫べば、平和を求める国民から澎湃たる支持が沸きあがった。ところが、実際に青年が銃を持って海外に出動している今、社民党は見る影もなく衰弱している。護憲というメッセージが国民に対する訴求力を失ったことは明白である」(P.ⅰ-ⅲ)。「もはや憲法は政治家がおのれの信念をかけて論ずべき崇高なテーマではなくなった」(P.ⅳ)。
共産党を排除した山口二郎 - 「政治改革」とは何だったのか
2017-11-20 17:50:00
テーマ: 政治・経済
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c0315619_17100184.jpg11月17日の朝日新聞オピニオン面に「ロシア革命100年」と題した不破哲三のインタビューが載った。その中でこんなことを言っている。「80年に一部の野党が『共産党を除く』という原則を唐突に打ち立てました。(略)共産党排除という異様な政治体制が34年続きました。それ以前はマスコミでも、ひとつの政党として自然体で見られてきました」。この事実認識は具体的にどういう中身を指しているのだろうか。もし、「34年続きました」という指摘が現在も進行中であるという意味なら、「80年」は83年ということになり、「80年」ではなく「80年代」とするのが正確だったという説明になる。もし言葉どおりに「34年続きました」の起点が1980年であるなら、その共産党排除の政治体制は2014年で終了したという捉え方になる。2015年夏に安保法制の政治戦があり、それを契機に「野党共闘」の政治が始まる経過があるので、不破哲三はその文脈で時間軸を整理しているのかもしれない。80年に共産党を排除した「一部の野党」とはどの政党を指すのだろうか。社会党だろうか。確かなことは、この時期に自民党政権に対抗する野党の共闘態勢のあり方が変わり、社共の革新統一戦線が崩壊し、社公民路線にリプレイスされたということである。不破哲三はその事実を言っているように聞こえる。
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